城名 飫肥城
住所 〒889-2535
宮崎県日南市飫肥10丁目1番2号
入場時間 飫肥城歴史資料館
午前9時30分〜午後4時30分
休館日:12月29日〜31日
入場料 大人:600円、高校生・大学生:450円、小中学生:350円
※豫章館、松尾の丸、歴史資料館、小村記念館、旧山本家、商家史料館の6館全てが見られます。
※飫肥の「食べあるき・町あるきマップ」1,000円も有ります。
 飫肥の協賛店5ヶ所を選び食べ歩きなどが出来てお得。
指定文化財 日南市史跡
城郭構造 群郭式平山城
天守構造 なし
築城主 土持氏
築城年 戦国初期
主な改修者 伊東祐兵
主な城主 土持氏、新納氏、伊東氏
位置 北緯31度37分44,78秒
東経131度21分1.09秒
【沿革】
正平年間(1346-70)、日向の地に武士団として勢力を伸ばした土持氏が築城した。
室町末期になると、工藤祐経の嫡子・祐時を祖とする伊東氏が日向で勢力を拡大し、土持氏を追いやった。長禄2年(1458)薩摩島津氏が伊東氏の南下に備え、島津氏一族で志布志城主の新納忠続を飫肥城に入城させた。以後、伊東氏と島津氏の飫肥城争奪戦が繰り広げられた。
元亀3年(1572)伊東義祐は木崎原の合戦で島津勢に大敗し、天正5年(1577)島津氏に追われ、伊東氏は豊後の大友宗麟を頼って亡命した。しかし、天正15年、豊臣秀吉の九州征伐後、伊東氏19代・祐兵が5万1千石を与えられ飫肥城主に返り咲いた。以後、祐兵を初代として伊東氏14代が続き明治を迎えた。
貞享元年(1684)5代伊東祐実の時、大地震で飫肥城は損壊したため、大改修をを行い、元禄6年(1693)完成した。

【感想】
飫肥城の本丸は残念だが、旧本丸は飫肥杉が林立し、とても趣があり石垣は苔むしてとても優しい感じがするお城でした。訪れたときには雨も降っていったので尚よかったのかもしれません。
大手門は復元とはいえすっかり周りに溶け込んでいて往時を偲ばせてくれます。
史料館も力が入っており見ごたえ十分でした。

ただ、観光目的とはいえ入場料が600円は高いですね。正直お城だけで良かったのですが…
まぁ〜「食べあるき、町あるき」付の1,000円のチケットの方はお値打ちものですね。時間があればこちらを選んで飫肥の町並みを歩きながら名物を味わい、手作りの品々を頂いてきましょう、きっと記念になるはずですよ。


100名城
スタンプ
スタンプ
設置場所
飫肥城歴史資料館
登城日 2010年9月23日(木)
LINK 飫肥城下町保存会HP
日南市商工会議所-にちなんの見どころ
飫肥城-Wikipedia
城主家紋 【唐花】
(宇佐社人田部氏後裔)
土持家家紋
【丸に鍵十字】
(島津氏支族)
新納家家紋
【庵に木瓜】
(藤原南家為憲流)
伊東家家紋

                      

探訪
【大手門左側空堀】 【大手門】 【大手門右側空堀】
【大手門土橋】 【大手門枡形】
内枡形形式になっている。
【大手門の土塀】
大手門から入ってきた敵を狙う狭間があるが内側にもう一つ土塀があるのでこの部分は後から継ぎ足されたような感じがする。
【土塀上の瓦】
伊東氏の家門である「庵に木瓜」と「十曜」が見られる。
【犬馬場跡】
大手門の枡形を抜けると犬馬場と呼ばれていた曲輪になっている。ここで毎年近くの幼稚園の運動会がされるそうです。
【二階櫓跡】
現在は鐘突き堂が建っており毎朝6時に鐘を突くそうです。旅館で聞こえた鐘の音はこれだったのですね。
昔も時を知らせるための鐘や太鼓が置かれた櫓だったと推察されます。
【本丸南側虎口】
ここに門もあった。
【飫肥歴史資料館】
伊東氏にまつわる資料が多数あり、中でも兜や鎧、刀は見ごたえがあります。
【本丸跡】
3度の大地震で旧本丸に地割れが発生し使用できなくなり、元禄6年(1693)にこの場所に本丸が移った。
現在は飫肥小学校になっている。鐘突き堂は小学校の敷地なので入るには学校側の許可が必要。
【旧本丸登城道】 【旧本丸石垣】
苔むした石垣は歴史を感じさせてくれます。
【旧本丸の門跡】
【旧本丸枡形虎口】
【旧本丸】
旧本丸には飫肥杉が林立している。
【旧本丸】
【旧本丸北側の坂虎口】 【中之城、北之丸跡】
現在は整地されグランドになってしまっているがここに「中之城」と「北之丸」が空堀で区切られてあった。
【旧本丸・北門】
入母屋造りで本瓦葺きの薬医門です。
【旧本丸の飫肥杉】
北門から撮影。雨が降っていたので苔と杉の緑が鮮やかになってとても情緒のある光景でした。
【松尾の丸】
旧本丸と堀切で区切られた曲輪で、書院造の御殿が復元されている。
【間取図】
建物は延床面積約800uで、御座の間、御寝所、涼櫓、茶室など二十室以上の部屋があります。
【御殿玄関】 【御座の間】 【御寝所】
【湯殿】
浴室は2つありこちらは蒸し風呂形式。
【湯殿の竈口】
ここで薪をくべていた。
【茶室】
【松尾の丸・土塁】 【本丸西側枡形虎口と門跡】 【三ノ丸・西部下段】
三ノ丸の北部は二段に分かれています。
於津賀社跡より撮影。
【本丸西側虎口】
幅の広い石段が特徴。
【犬馬場の石垣】
苔むした石垣が歴史を語っています。
【本丸・歴史資料館】
観光〜豫章館〜
豫章館は、飫肥藩主伊東祐帰が明治2年(1869)に城内から移り住んだ屋敷で、庭の北隅に大きな楠があったことから豫章館と名付けられた。
この屋敷は大手門前に位置する飫肥城下ではもっとも格式の高い武家屋敷です。
薬医門と屋根付の塀に囲まれた約6,500平米の屋敷内には主屋、雑舎(台所・便所・納屋)、蔵、御数寄屋があり、南面に広大な枯山水の庭園が配置されている。
宿泊
旅館名:百合旅館
住所:宮崎県日南市飫肥1-1-21
電話:0987-25-2559
チェックイン:16:00〜
チェックアウト:〜10:00
料金:6,300円〜

感想
造りは古く、風呂、トイレは共同ですが、それが気にならなければ、家庭的で飫肥の名物をいただけるので満足できます。
料理には予約の時点で伊勢エビ料理を頼むことも可能です。
今回は楽天トラベルを利用しました。

飫肥の名物、厚焼き卵は炭火焼なのでお薦めです。




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