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城名 臼杵城(別名:丹生島城、巨亀城、金亀城、亀城)
住所 〒875-0041
大分県臼杵市臼杵
入場時間
入場料
指定文化財 大分県史跡
城郭構造 連郭式平山城(海城)
天守構造 複合式望楼型3層(1601年築 非現存)
梯立式層塔型3層4階(1700年代末改 非現存)
築城主 大友宗麟
築城年 永禄5年(1562)
※近年は、弘治年間(1555〜1558)以前から利用されていたとのではないかと有力視されている。
主な改修者 福原氏、稲葉氏
主な城主 大友氏、福原氏、太田氏、稲葉氏
位置 北緯33度7分18.59秒
東経131度48分14.77秒
地図 古橋口門
畳櫓
大門櫓
天守跡
卯寅口門脇櫓
【沿革】
臼杵城は弘治2年(1556)、大友義鎮(宗麟)によって建てられた城です。臼杵城が築かれた丹生島は、文字通り元々は臼杵湾に浮かぶ島でした。守りの堅いその地の利を生かして、このちを城郭にしたと考えられます。

大友氏改易後は、福原直高、太田一吉と城主が替わり、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、稲葉氏が臼杵藩5万石余の主として、臼杵城に入ります。以後明治維新まで臼杵藩は稲葉氏によって支配されました。

その後、明治新政府の廃城決定により卯寅口門脇櫓、畳櫓以外の建物はすべて破棄され、公園化されました。


【感想】
宗麟が大友館から移ってきた城がこの臼杵城になりますが、周囲は海に囲まれていたということも有り堅固な城であることが伺えました。特に畳櫓下から上を見るとそれは明らかです。
陸からは大手門口からしか攻めることができす、攻め込む間に城内から国崩の砲撃があるわけですから、攻撃も混乱をきたしたことでしょう。


登城日 2010年9月23日(木)
LINK 臼杵市観光情報協会-臼杵城
臼杵城-Wikipedia
城主家紋 【抱き杏葉】
(藤原氏秀郷流
/源頼朝落胤説あり)
大友家家紋
【折敷に三文字】
(伊予河野氏の一族)
稲葉家家紋

                      

探訪

※現在の公園内
【畳櫓】
往時はこの辺も海であった。それにしてもすごい断崖である。
【古橋虎口】
大手門をくぐりこの古橋から入るのが正規のルートであった。
【堀】
岩盤補強工事のため水が抜かれていました。
【古橋門跡】 【亭櫓跡】 【古橋門櫓跡】
【堀】
畳櫓下の岩盤の補強工事のようです。
【鐙坂】 【中門跡】
【中門櫓跡】 【畳櫓】
現存する二階櫓である。
「畳櫓」の名称については、祇園社(現在の八坂神社)から見た方角(巽)が由来とする説や、中に畳がひかれたからという説などがありますが、はっきりした由来は不明です。
【大門櫓】
【時鐘櫓跡】
現在は鐘突き堂が置かれている。
【今橋口へ繋がる帯曲輪】
稲葉氏入城後、町場に近い位置に登城口があるのは防衛上不安であったためか、新たに三ノ丸のやや奥まった部分に登城口を設け二ノ丸へあがる間に中之門、上之門と呼ばれる門と枡形を造るという守りの堅い城内通路が整備されました。これにより旧来の道は上之門を境に二つに分断され、畳櫓から上之門に至る空間を帯曲輪としました。
【井楼櫓跡】
【大門櫓】 【会所櫓跡】 【二ノ丸】
二ノ丸には、二之丸御殿があったが、現在は臼杵護国神社が建っている。
【臼杵護国神社】
旧名は稲葉神社、稲葉良通(一鉄)公と歴代藩主の霊を祭祀するために建てられた。
その後、明治十年西南の役で薩摩軍が臼杵に侵入したとき、旧臼杵藩士の日下東命等らが、臼杵隊を組織して防戦したが、ついに破れ四十三名の戦死者を出した。
明治十一年六月有志が戦死者の霊を祀るために臼杵城址に招魂社を建てた。
この二つを合併したのが臼杵護国神社である。
【大友宗麟公レリーフ】 【大友宗麟公レリーフアップ】
【佛狼機砲(フランキホウ)(国崩)】
天正四年(1576)ポルトガル人より大友宗麟に贈られたもので、これが日本初の大砲と云われています。
宗麟はこれを「国崩」と命名し、臼杵城の備砲として備え付け、島津が攻めてきた際に使用しました。
実物は現在の靖国神社境内に展示されています。
【日本一のクリスマスツリーとなる樅の木】 【本丸空堀】
正面の石垣が見える部分は、武具櫓になる。
【鉄門跡】
本丸の入口には鉄板の張られた門(鉄門)が建っていた。
【武具櫓跡】 【天守台】
三層四重の天守がありました。初めてここに天守がつくられたのは豊臣秀吉配下の福原直高が臼杵城主であった文禄3年〜慶長2年(1594〜1597)頃である可能性が高くなっています。
稲葉氏になり大規模な修理が行われ天守と独立で建てられた付櫓を櫓でつなぐように改築したようです。
【天守と櫓跡】
奥が天守で、手前が付櫓、その間が後から建てられた、それらをつなぐための櫓があった。
【埋門付近の発掘現場】 【武具櫓跡】【亀首櫓跡】
【卯寅口門脇櫓】
現存建物。外観は二層、内部は三重、外壁は漆喰下板張り、屋根は切妻屋根の櫓です。一時期は「御鉄砲薬櫓」と呼ばれていました。
【卯寅口門脇櫓】 【井戸】
臼杵城の搦手に当たる卯寅口は、井戸があったことから井戸丸戸も呼ばれていた。
【卯寅口】
この場所は海に通じており緊急時ここから船を出して、海にだ出することを考えていたようです。
【卯寅口】




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