城名 府内城(別名:大分城、荷揚城、白雉城)
住所 〒870-0046
大分県大分市荷揚町73
入場時間
入場料
指定文化財 大分県史跡、大分市史跡
大分県文化財(人質櫓、宗門櫓)
城郭構造 梯郭式平城
天守構造 4重天守(詳細は不明)
築城主 福原直高
築城年 慶長2年(1597)
主な改修者 竹中重利
主な城主 竹中氏、大給松平氏
位置 北緯33度14分26.31秒
東経131度36分41.16秒
100名城
スタンプ
スタンプ
設置場所
大手門
登城日 一回目:2010年9月24日(金)
二回目:2018年10月24日(水)
三回目:2023年05月25日(木)
LINK 大分市公式HP〜府内城〜
府内城-Wikipedia
城主家紋 【二つ引両に三つ巴】
(村上源氏赤松氏流)
福原家家紋
【九枚笹】
(清和源氏土岐氏流)
竹中家家紋
【太輪に蔦】
(徳川家旗本)
大給松平家家紋
【沿革】
府内城は慶長2年(1597)、福原直高により築城が開始され二年後には一部が完成しましたが、直高の領地没収によって中断、これに代った早川長敏も慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍に加担して取り潰されました。次いで翌年、竹中重利が入封して築城工事を再開、石垣の築造には熊本藩の加藤清正の援助を受けるなどをして、慶長7年(1602)四重の天守閣がそびえる城郭が完成しました。続いて城下町の建設が始められ、やがて東西1.1.km、南北約1kmにおよぶ、豊後最大の規模を誇る府内の城下町が出来上がりました。

荷揚城とも呼ばれる府内城は、大分川の河口左岸、別府湾に接したかつての「荷落ろし」(交易地)の場所に城地を定めました。荷揚の城名の由来は「落」の字を忌み、「揚」の字に改めたといわれています。今はその面影はほとんど失われていますが、府内城と府内城下町は内堀(現存)、中堀、外堀の三つの大きな堀を持ち、北は海に接してまさに水城ともいえる城でした。また、その美しい姿から白雉城とも呼ばれています。

城と城下町を完成させた竹中氏は、その後長崎奉行を兼務していた重義の時に、非違を咎められて断絶しました。代って寛永11年(1634)、壬生城(栃木県)から日根野吉明が入封しましたが、跡継ぎがなく、一代で断絶しました。次いで大給松平忠昭が万治元年(1658)に新藩主として入封、以来明治4年(1871)の廃藩置県まで、二万余石の譜代大名として十代にわたる藩主によって府内藩政が進められました。この間寛保3年(1743)に城下に起こった大火によって、天守閣をはじめ城の施設が多く焼失し、以後天守閣は再建されませんでした。

明治4年(1871)11月大分県が成立、翌年城内に県庁が置かれて牽制の中枢を担う場所となりました。大正10年(1921)には、新県庁舎が竣工しましたが、戦後昭和37年(1962)県庁舎の移転にともない、昭和41年(1966)には現在の大分市文化会館が完成しました。この年、昭和20年(1945)の米軍の大分空襲により焼失した5つの櫓も復元(鉄筋コンクリート製)され、往時の姿を取り戻しました。

城跡旧状をとどめる堀、土塀、宗門櫓、人質櫓、櫓(天守台)跡が県史跡に指定され、また城址公園として市民の憩いの場所になっています。


【感想】
西ノ丸にあった文化会館が撤去されてから城内の整備がいろいろ行なわれています。今後本丸跡には城址公園として整備がされるようです。
ただ本丸堀が埋められているので本丸と西ノ丸の区分けが良くわからなくなっているのは残念です。

                      

探訪

※現地案内板(加筆あり、斜線部は埋立) (2010年9月24日(金)の写真)

※現地案内板 (2023年5月25日(木)の写真)
【府内城南側】
左より西ノ丸南西隅二重櫓、宗門櫓、着到櫓が見える。
【西側入口】
昔はここからの入口はなく、入口付近には二重櫓があった。
【西ノ丸枡形虎口】
枡形の先に廊下橋があり山里曲輪と繋がっている。
【冠木門跡】
枡形虎口の門のあとで礎石が残る。
【廊下橋】 【廊下橋内から見た人質櫓】
【廊下橋】 【廊下橋】 【慶長の石垣】
築城当時の慶長期(1600年前後)に積まれたもので山里丸(現松栄神社)を囲む石垣の一部です。
【北二重櫓台】
櫓台下の平場は埋められたもので本来は堀になっていた。
【内堀跡】
内堀の北西端になる。
【堀が埋められた場所と二重櫓台】
2023年時には柵が出来ており、ここに入れませんでした。
【人柱になったお宮を祀った祠周辺】
天守台下の緑の木々がある場所にお宮を祀った祠があります。
【人柱になったお宮を祀った祠】
堀が埋められた場所から堀に沿って天守台に向かうと天守台下にあります。2023年時にはここに入れませんでした。
【二重櫓台跡】
算木積みで積まれている。
【天守台と渡櫓跡】
本丸内側は石垣が大きく崩れてしまっている。
【二重櫓台と渡櫓跡】 【二重櫓跡】
【二重櫓跡から見た人質櫓(現存)】 【天守台と渡櫓跡】 【天守跡】
【天守跡から見た二重櫓台と廊下橋】 【人質櫓(現存)】
天守跡より撮影。
【大友宗麟胸像】
府内城とは関係の無いが本丸にある。大友宗麟の居城は大友館と臼杵城である。(2023年にはここにありませんでした。)
【天守台】 【東ノ丸の井戸】 【宗門櫓(現存)】
現在の建物は安政6年(1859)に再建されたものですが、当初の建物の規模・工法を引き継いでの修理であったと考えられています。城の外から見ると平櫓に見えますが、城内からは二重に見える建物で、平地に石垣を積んで築城する際、櫓の部分に櫓台を設けていないため、このような地階を付けています。
【西ノ丸南西隅櫓(二重櫓)】 【多聞櫓門(大手門)】 【多聞櫓門(大手門)から見た着到櫓】
【多聞櫓門(大手門)】 【着到櫓】 【着到櫓から見た多聞櫓門(大手門)】
【東ノ丸南東隅櫓と三重櫓跡】 【東ノ丸南東隅櫓】
復元されたのは二重櫓だが、本来は平櫓だったようです。
【三重櫓跡】
【東ノ丸北東隅櫓】 【帯曲輪跡】 【水手口】
小舟で堀を渡る緊急避難路
【扇櫓跡】
【扇櫓跡】
本丸の北東角には、平面が扇形の平櫓が建てられていました。この場所は、府内城の鬼門にあたるため、隅に角がない扇形にした鬼門除けの手法が取られていました。更に櫓には邪気が入り込まないように窓もありませんでした。
【人質櫓(現存)】
【山里曲輪跡】
現在は松栄神社が建っている。
【本丸に建てられた天守】
2018年に行った際にイベントとしてやっていたライトアップ。
【本丸に建てられた天守】
グルメ
ジャンル:居酒屋
店名:こつこつ庵
住所:大分県大分市府内町3-8-19
TEL:050-5872-5312
営業時間:11:30〜14:30、17:00〜22:30(L.O.22:00)
定休日:日曜日(翌月曜が祝日のときは月曜が休み)
品名:左上;りゅうきゅう、右上:だご汁
   左下:ぎょろっけ、右下:わた酢

【感想】
大分の郷土料理が食べれるお店。どれもこれも美味しいのでついついお酒もすすんじゃいます。
カウンターもあるので一人旅でも利用しやすい。
地元でも人気店なので予約したほうが良いでしょう。




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