powered by 地図Z
城名 府内城(別名:大分城、荷揚城、白雉城)
住所 〒870-0046
大分県大分市荷揚町73
入場時間
入場料
指定文化財 大分県史跡
大分県文化財(人質櫓、宗門櫓)
城郭構造 梯郭式平城
天守構造 4重天守(詳細は不明)
築城主 福原直高
築城年 慶長2年(1597)
主な改修者 竹中重利
主な城主 竹中氏、大給松平氏
位置 北緯33度14分26.31秒
東経131度36分41.16秒
地図 天守台
人質櫓
廊下橋
宗門櫓
大手門
100名城
スタンプ
【沿革】
府内城は慶長2年(1597)、福原直高により築城が開始され二年後には一部が完成しましたが、直高の領地没収によって中断、これに代った早川長敏も慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍に加担して取り潰されました。次いで翌年、竹中重利が入封して築城工事を再開、石垣の築造には熊本藩の加藤清正の援助を受けるなどをして、慶長7年(1602)四重の天守閣がそびえる城郭が完成しました。続いて城下町の建設が始められ、やがて東西1.1.km、南北約1kmにおよぶ、豊後最大の規模を誇る府内の城下町が出来上がりました。

荷揚城とも呼ばれる府内城は、大分川の河口左岸、別府湾に接したかつての「荷落ろし」(交易地)の場所に城地を定めました。荷揚の城名の由来は「落」の字を忌み、「揚」の字に改めたといわれています。今はその面影はほとんど失われていますが、府内城と府内城下町は内堀(現存)、中堀、外堀の三つの大きな堀を持ち、北は海に接してまさに水城ともいえる城でした。また、その美しい姿から白雉城とも呼ばれています。

城と城下町を完成させた竹中氏は、その後長崎奉行を兼務していた重義の時に、非違を咎められて断絶しました。代って寛永11年(1634)、壬生城(栃木県)から日根野吉明が入封しましたが、跡継ぎがなく、一代で断絶しました。次いで大給松平忠昭が万治元年(1658)に新藩主として入封、以来明治4年(1871)の廃藩置県まで、二万余石の譜代大名として十代にわたる藩主によって府内藩政が進められました。この間寛保3年(1743)に城下に起こった大火によって、天守閣をはじめ城の施設が多く焼失し、以後天守閣は再建されませんでした。

明治4年(1871)11月大分県が成立、翌年城内に県庁が置かれて牽制の中枢を担う場所となりました。大正10年(1921)には、新県庁舎が竣工しましたが、戦後昭和37年(1962)県庁舎の移転にともない、昭和41年(1966)には現在の大分市文化会館が完成しました。この年、昭和20年(1945)の米軍の大分空襲により焼失した5つの櫓も復元(鉄筋コンクリート製)され、往時の姿を取り戻しました。

城跡旧状をとどめる堀、土塀、宗門櫓、人質櫓、櫓(天守台)跡県史跡に指定され、また城址公園として市民の憩いの場所になっています。


【感想】
あまりにも埋め立てにより改変されているので、この城が水城だったとはとても思えません。また西ノ丸の位置に文化会館があり、これがあるためにとても残念な城になっている。また復元された櫓は外側から見る分には良いが内側から見るととんでもないものになっている。櫓台がなく下が空間になっており掃除道具などが置かれたいた。
城の北側は廊下橋も復元され天守台などもあり、良い雰囲気はある。

※大分県、大分市のHPにも記載があまりなく、自治体としては力が入っていないようである。


スタンプ
設置場所
西ノ丸の文化会館北側付近
 登城日 2010年9月24日(金)
LINK 府内城-Wikipedia
城主家紋 【二つ引両に三つ巴】
(村上源氏赤松氏流)
福原家家紋
【九枚笹】
(清和源氏土岐氏流)
竹中家家紋
【太輪に蔦】
(徳川家旗本)
大給松平家家紋

                      

探訪

※現地案内板(加筆あり、斜線部は埋立)
【府内城南側】
左より西ノ丸南西隅二重櫓、宗門櫓、着到櫓が見える。
【西ノ丸南西隅二重櫓】 【宗門櫓(現存)】
【大手門】
多聞櫓門で昔は上に鐘楼が乗っていた。
【着到櫓】 【東ノ丸南東隅櫓】
当時(案内板より)は平櫓になっている。
【城東(東ノ丸)側】
左側より南東隅櫓、三重櫓、北東隅櫓
【帯曲輪跡】
堀の東側から北側んびは、堀を囲んで、堤防状の土手が築かれていました。この土手が帯曲輪で城と海とを区画するための外周施設で古絵図によれば354間(約644m)の長さと書かれています。
【東ノ丸北東隅櫓】
二重櫓になっている。
【城北側堀】
左方向に見える櫓は東ノ丸北東隅櫓になる。
【人質櫓(現存)】 【北二重櫓台】
櫓台下の平場は埋められたもので本来は堀になっていた。
【廊下橋】
【松栄神社】
神社があるこの場所は、山里曲輪と呼ばれていた。
【西側入口】
昔はここからの入口はなく、入口付近には櫓があった。
【西ノ丸枡形虎口】
枡形の先に廊下橋があり山里曲輪と繋がっている。
【冠木門跡】
枡形虎口の門のあとで礎石が残る。
【内堀跡】
内堀の北西端になる。
【堀が埋められた場所】 【廊下橋】
堀が埋められた場所より撮影。
【人柱になったお宮を祀った祠】
堀が埋められた場所から堀に沿って天守台に向かうと天守台下にあります。
【二重櫓台跡】
算木積みで積まれている。
【二重櫓台・渡櫓跡】
内側は崩れている。
【二重櫓跡】
【渡櫓跡】 【天守跡】 【人質櫓(現存)】
天守跡より撮影。
【大友宗麟胸像】
府内城とは関係の無いが本丸にある。大友宗麟の居城は大友館と臼杵城である。
【天守台】 【東ノ丸・井戸】
【宗門櫓(現存)】
内側より撮影。
【多聞櫓門(大手門)】
内側より撮影。
【多聞櫓門(大手門)】
外側より撮影。
グルメ
ジャンル:居酒屋
店名:立ち飲み 一か八か
住所:大分県大分市要町1-1(JR大分駅ビル内)
TEL:097-532-0616
営業時間:?
定休日:?
品名:とり天定食

【感想】
立ち飲みとなってますが、椅子がありますw
居酒屋ですが定食も食べれました。
とりあえず大分名物の「とり天」を、柔らかくおいしかったです。量もほどほどでよかったです。
手軽に済ますのであればよいかもしれません。




Back



inserted by FC2 system