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城名 | 平戸城(別名:亀岡城、亀甲城、日之獄城) | ||
住所 | 〒859-5121 長崎県平戸市岩の上町1473 |
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入場時間 | 午前8時30分〜午後5時30分 | |||
入場料 |
大人500円、中人300円、小人200円
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指定文化財 | なし | |||
城郭構造 | 梯郭式平山城 | |||
天守構造 | なし・代用(乾櫓三重) (3重5階・鉄筋コンクリート造り模擬) |
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築城主 | 松浦鎮信 | |||
築城年 | 慶長4年(1599) | |||
主な改修者 | 松浦棟 | |||
主な城主 | 松浦氏 | |||
位置 | 北緯33度22分6.87秒 東経129度33分27.24秒 |
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地図 | 1 | 模擬天守閣 | ||
2 | 北虎口門 | |||
3 | 狸櫓 | |||
4 | 見奏櫓 | |||
5 | 懐柔櫓 | |||
100名城 スタンプ |
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【沿革】 平戸松浦氏は秀吉政権下の天正15年(1587)、63,200石の大名となった。 文禄慶長の役では約6,000の軍兵を率いて朝鮮半島を転戦し、帰還後の慶長4年(1599)初めてここに「日の岳城」を築いたが、同18年に大火により焼失した。それからおよそ100年後の宝永元年(1704)、徳川幕府の許可のもと、亀岡城(平戸城)再築に着手。15年の歳月と人夫約555,000人、銀1,180貫余を費やし、享保3年(1718)に完成した。 総面積約54,000坪(18ヘクタール)最上部の本丸は海抜16丈2尺(約50m)、城郭部は白浜郭を含む外郭、三ノ丸、二ノ丸、本丸の四層からなる。 往時の木造遺構としては北虎口門と多聞櫓(狸櫓)が現存し、昭和35年より乾三重櫓、地蔵坂櫓、見奏櫓、懐柔櫓、沖見櫓(現天守閣)が再建された。 【感想】 平戸港より見る平戸城は見事に尽きる。遺構としては北虎口門、狸櫓、石垣などがあるが天守閣は模擬のためそこが残念ではある。また本丸門はコンクリート造りで門扉もないので興ざめしてしまう。 大手道から登城すれば枡形や石垣を確認しながら登城できるので良い。 |
スタンプ 設置場所 |
平戸城現天守閣 | ||
登城日 | 2011年5月1日(日) | |||
LINK | 平戸達人NAVI | |||
松浦資料博物館HP | ||||
平戸城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【三つ星】 (嵯峨源氏渡辺氏流) 松浦家家紋 |
【平戸城】 バスターミナル付近より。 |
【平戸城】 バスターミナル付近より。 |
【平戸城】 宿泊した宿より。 |
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【幸橋と幸橋御門】 当初、ここに架けられた橋は木橋(1669年設置)であったが、元禄15年(1702)、石橋に掛け替えられた。オランダ商館が築造した、石造倉庫の技法によってつくられたと言われており、これが「オランダ橋」の別称の由来となっている。 幸橋は国指定建造物。門を入って左側は勘定場跡。 |
【西口門へ行く登城道】 | 【西口門跡】 | |
【三ノ郭】 | 【乾櫓】 | 【乾櫓横の石垣】 | |
【乾櫓】 | 【亀岡神社】 二ノ郭跡に建つ。 |
【ニノ大手櫓の石垣】 | |
【ニノ大手櫓の石垣】 | 【二ノ丸御殿跡】 | 【大手一ノ門跡】 亀岡神社の参道で大手道に当たる。 |
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【大手一ノ門枡形】 | 【大手二ノ門跡】 | 【大手二ノ門石垣】 | |
【大手二ノ門の雁木】 | 【ニノ大手門跡】 | 【ニノ大手門石垣】 | |
【ニノ大手門】 | 【方啓門枡形】 | 【槇並木】 樹齢400年を越える槇並木は全国でも珍しい。 |
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【?】 ニノ郭から料金所へ向かう途中にある穴。中には椅子が置かれているが用途が不明。 |
【北虎口門】(現存建物) | 【地蔵坂櫓】 | |
【北虎口書院跡】 現在は料金所がある。 |
【狸櫓】(現存建物) 正式な名称は「多聞櫓」。 この櫓に狸が住みつき、お城守っているという話が由来で「狸櫓」と呼ばれている。 |
【本丸門】 | |
【本丸門跡】 枡形内に礎石がある。 |
【模擬天守閣】 沖見櫓が建っていた場所に模擬の天守が建っている。 |
【休憩所】 こちらが沖見櫓と思っていたが、違っており、これはただの休憩所。 |
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【模擬天守閣】 | 【本丸裏】 | 【見奏櫓】 | |
【松浦典膳具足】 | 【平戸城模型】 | 【天守眺望】 海の向こうに平戸大橋が微かに見える。 |
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【懐柔櫓】 | 【本丸】 | 【外郭】 自由の広場、憩いの広場、レストハウスがある場所が平戸城の外郭に当たる。 |
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【亀岡神社拝殿】 | 【懐柔櫓】 | 【見奏櫓】 | |
【護国神社】 | 【安寿門跡】 | 【東櫓跡】 | |
【地蔵坂櫓】 | 【土塁と鉢巻石垣】 地蔵坂櫓の前にある土塁で土塁の上に石垣がある。 この場所に櫓があったのではと思ってしまう。 |
【地蔵坂櫓】 | |
【平戸和蘭商館跡】 | 【平戸和蘭商館跡】 長崎の出島に移転するまでの33年間は、「西の都」と呼ばれるほどに貿易港として賑わいを見せていました。 |
【常燈の鼻】 寛永20年(1643)に常夜燈が設置され、夜間の船の航行に危険な平戸瀬戸の灯台として機能しました。 |
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【オランダ埠頭】 東インド会社所有反戦の荷卸し、積み込みを行っていたところ。 |
【オランダ井戸】 オランダ商館員用の井戸として掘られたもの。 |
【オランダ塀】 石段に沿って続く漆喰で塗り固められた塀。 |
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【日蘭親交記念碑】 | 【ポルトガル船入港碑】 | 【じゃがたら娘像】 | |
【平戸港】 | 【オランダ船錨】 | 【寺院と教会の見える風景】 | |
【石段】 | 【聖フランシスコ・ザビエル記念像】 | 【聖フランシスコ・ザビエル記念教会】 | |
【聖フランシスコ・ザビエル記念教会】 | 【松浦隆信(宗陽)の墓】 | 【大蘇鉄】 | |
【六角井戸】 | 【松浦資料博物館】 明治26年(1893)に松浦家の私邸として建てられた旧鶴ヶ峯邸。 |
【平戸温泉 うで湯&あし湯】 |