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城名 | 柳川城(別名:舞鶴城) | ||
住所 | 〒832-0061 福岡県柳川市本城町125(二ノ丸跡、本丸跡) 福岡県柳川市本城町82番地2(本丸跡、天守閣跡) |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 国史跡 | |||
城郭構造 | 平城 | |||
天守構造 | 複合式層塔型5重5階天守(非現存) | |||
築城主 | 蒲池鑑盛 | |||
築城年 | 永禄年間(1558〜1569) | |||
主な改修者 | 田中吉政 | |||
主な城主 | 蒲池氏、立花氏、田中氏 | |||
位置 | 北緯33度9分39秒 東経130度24分4秒 |
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地図 | 1 | 天守閣跡 | ||
2 | 石垣跡 | |||
3 | 弥兵衛門跡 | |||
4 | 竹門跡 | |||
5 | 御花 | |||
【沿革】 柳川城は永禄年中(1558〜1569)、蒲池鑑盛(あきもり)によって本格的な城として作られたもので天然の要害である。水の利を充分に生かした平城で堀をめぐらし、扉の開閉によって城内の水が増減出来るようになっていた。鑑盛の子鑑連に至り、天正8年(1580)龍造寺による数ヶ月に及ぶ攻撃に耐え、柳川城攻略を挫折させた。翌年、龍造寺により佐賀に於いて謀殺されその一族もすべて殺害され、応永以来の蒲池一族は滅亡した。 天正12年(1584)大友勢の筑後攻略にも柳川城は一指だも染め得なかった。 天正15年(1587)立花宗茂が豊臣秀吉の九州平定に際して、その功により筑前立花より19歳で当地に移されたが、慶長5年(1600)関ヶ原役において、西軍にくみしたため在城わずか13年にして解任された。この後に岡崎城主田中吉政が筑後一円32万石余の領主として入国し柳川を居城とするに及び、石垣を高くし天守を築き、従来にも増して防備を厳重にした。 戦国動乱の二度に及ぶ攻撃にも陥落しなかった本城は、ここにおいていよいよ天下の名城としての名声を高めた。当時人々が(柳川三年 肥後三日 肥前久留米は朝茶の子)と言ったのは、柳川城の堅固さを如実に物語ったものといえよう。 元和6年(1620)田中吉政の子忠政に後継なく断絶したため、奥州棚倉より12万石の領主として立花宗茂が再度当地に入国した。以来明治維新を迎えるまで250年間立花藩の居城であった。 明治5年(1872)正月18日夕刻、火を発し慶長以来威容を誇った天守閣も一夜にして焼失した。石垣については、明治7年(1874)の大風により海岸堤防が決壊したためその補強に転用された。 昭和3年(1928)の開田後柳川商業高等学校(現在の柳川高等学校)、柳城中学校が建てられ現在に至っている。今は古城を偲ぶ面影はさらになく、わずか開田を免れた天守閣跡のみとなり、時代の要請にこたえたとはいえ往時を懐古すれば興衰のはげしさを物語るとも言えよう。 (現地説明板より) 【感想】 好きな武将の立花宗茂の居城として感慨深い場所ではあったが、遺構がほとんどなく残念ではある。しかし、本丸、二ノ丸を中心に四隅に碑が建っており規模が分かる。また、柳川名物の川下りで柳川城の堀を巡ることが出来るのでお薦めしたい。 |
登城日 | 2011年5月3日(火) | ||
LINK | 立花家十七代が語る立花宗茂と柳川 | |||
柳川城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【三つ巴】 (藤原北家宇都宮氏流) 蒲池家家紋 |
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【祇園守】 (藤原氏秀郷流大友氏族) 立花家家紋 |
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【左三つ巴】 (橘氏後裔?) 田中家家紋 |
※古図を基にし、天守跡をgoogle MAPに合わせると上図の様になる。これで見ると堀の大半は埋められていることが分かる。 遺構としては、柳城中学校は大半が堀跡であり本丸は一部ということに、柳川高等学校は本丸の半分と二ノ丸になると思われる。 |
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【三ノ丸戌亥門跡】 通称”弥兵衛門跡”。 |
【柳川城・西北隅】 | 【柳川城・西南隅】 古図や古図を見るとこの隅付近に天守が建てられていたと思われる。現在本丸跡は柳城中学校になっている。 |
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【本丸跡】 現在は柳城中学校になっているがこの道より左側は、本丸堀跡になる。 |
【柳川城址碑】 この位置が二ノ丸と本丸の間のように感じられるが、違うようである。 |
【柳川城址碑と説明板】 説明板ではここが天守閣跡ということです。 |
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【天守閣跡に残る石垣の石材】 | 【天守閣跡に建つ説明板】 | 【天守閣跡の土塁】 | |
【天守閣跡の土塁】 | 【天守閣跡の石垣】 | 【柳川城東北隅】 | |
【二ノ丸・本丸跡】 現在は柳川高等学校になっている。 |
【柳川城東南隅】 | 【竹門跡】 | |
【天守閣跡の説明板の古図】 | 【古写真・天守】 | 【田中吉政像】 弥兵衛門跡近くに建つ。 |
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【山門】 | 【本堂】 田中吉政の墓はこの本堂自体になり、墓石は本堂の仏像の真下に位置する。 |
【田中吉政の墓】 見に行かれる際は、お寺に断らないと見ることが出来ない。 |
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【福厳寺】 この寺は、立花家の菩提寺である。 |
【山門の彫刻】 | 【本堂】 | |
【?】 | 【鐘鼓楼】 | 【開山堂】 | |
【正門】 | 【宗茂飾り】 | 【柳川城模型】 | |
【廊下】 | 【大広間の縁側】 | 【結婚式場】 | |
【御広間のある建屋】 | 【中庭】 | 【廊下】 | |
【大広間】 | 【中庭】 | 【西洋館】 | |
【松濤園】(国指定名勝) | 【松濤園】 | 【松濤園から見た大広間の建屋】 | |
【松濤園】 | 【輿】 | 【黒漆塗大文字形兜】 | |
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【伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足】 | 【各種鎧】 | − | |
【柳川城堀水門】 | 【船着場】 | 【船着場】 | |
【弥兵衛門跡付近の水路】 | 【御花の出逢い橋】 | 【御花の出逢い橋】 | |
【水天宮祭りの船】 | 【柳川城堀水門】 この門の中から柳川城の外堀になる。 |
【柳川城堀水門通過中】 | |
【対岸の家から見るための庭園】 | 【並倉】 | 【柳川城・中堀】 | |
【川下り用売店】 | 【水路から見た二ノ丸跡】 柳川高等学校のテニスコート。 |
【田中吉政像】 | |
【漁をするための櫓】 | 【十時邸(とときてい)】 | 【待ちぼうけ碑】 | |
【水面】 | 【花嫁用船】 | 【終点船着場】 | |
ジャンル:うなぎ料理 店名:皿屋 福柳 住所:福岡県柳川市沖端町29−1 TEL:0944−72−2404 営業時間:11:30〜19:00 定休日:毎週木曜日(祭日の時は変更) 駐車場 17台 URL:http://www.saraya-fukuryu.com/ 柳川名物の一つ、うなぎのせいろ蒸し。 このお店は北原白秋も愛したお店です。 お店の雰囲気も重厚でいい雰囲気です。 せいろ蒸しのせいかご飯は厚く、はふはふしながら食べました。 うなぎにもいろいろな食べ方があるんだなと感心します。 |