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※赤線は登城経路ですが大体の位置を示すものです。
城名 杵築城(別名:木付城、勝山城、臥牛城、台山城)
住所 〒873-0001
大分県杵築市大字杵築16番地1
入場時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分)
休館日:年末
入場料 一般:300円、小・中学生:150円
武家屋敷などとの共通鑑賞券もあり
指定文化財
城郭構造 連郭式平山城
天守構造 不明
独立式望楼型3層3階(1970年コンクリート造り 模擬))
築城主 木村頼直
築城年 明徳4年(1393)
主な改修者
主な城主 木付氏、前田氏、杉原氏、細川氏、小笠原氏、松平氏
位置 北緯33度24分53.09秒
東経131度37分39.6秒
地図 天守
本丸跡
二ノ丸跡
三ノ丸跡
御殿跡
【歴史】
大友氏2代親秀の6男親重は建長2年(1250)鎌倉幕府から豊後国速見郡武者所として八坂郷木付壮に封じられ3千5百貫を領し地名の木付を氏とし竹ノ尾の高台に築城したが木付4代頼直が要害堅固の台地(城山)に応永元年(1394)9月11日に移転し木付城と称した。又、台山城、臥牛城、勝山城ともいわれた。
台山は築城台地にちなみ臥牛は台山の形状が牛の寝た姿に似ている。勝山は木付氏16代鎮直の時、島津の武将新納武蔵守勢の猛攻を受けたが天正15年(1587)2月22日撃退した由来いわれがある。
木付氏17代統直は大友義統の軍に従ったが、大友除国の悲運をなげき帰国の途中門司の浦で自刃入水した。文禄2年(1593)6月25日344年間在封した幕を閉じた。
続いて前田玄以が2年間、杉原長房が4年間、細川忠興が34年間、小笠原忠知が13年間と藩主の交代が相次ぎ正保2年(1645)には能見松平7代英親が37,000石で城主となり知行のうち5,000石を弟の重長に3,000石と直政に2,000石分知した。
正徳2年(1712)3代松平重休のとき徳川6代将軍家宣下賜の朱印文に木付の文字が杵築と書きかえられていたことから現在の杵築になったと言われる。
江戸時代になり英親より親貴まで227年間治藩し明治4年(1871)廃藩となり622年にわたる城は姿を消した。
現在の杵築城は昭和45年10月復元し昔を偲ぶことになった。
(入場券裏の説明書きより)

【感想】
城域は改変され公園化されているため遺構は殆どない。本丸の一部には市内に点在していた石仏や石塔などが集められており、正直気味が悪い。
杵築は城よりも北と南に分かれた城下町とそれらに挟まれた商人街をじっくり見る方が楽しい。
坂からの景色も実に綺麗です。

登城日 2013年9月27日(金)
 LINK 大分県杵築市観光協会公式ホームページ
杵築城-Wikipedia
城主家紋 【輪違い】
(大友氏一族)
杵築氏家紋
【雪笹】
能見松平氏家紋

                      

探訪

※説明板より
【二ノ丸跡】 【模擬城門】
これは後から作ったものであろう。
【本丸跡】
城山公園石造物群。
何か異世界に来た気分です。
 
【模擬天守】 【模擬天守】 【杵築城城址碑】
【本丸跡(天守前)】 【天守からの眺望】 【天守からの眺望】
絶壁の上は南武家屋敷になる。
【杵築城】 【杵築藩総役所跡】
現在の杵築市役所。
【南武家屋敷の展望台からの眺望】
観光〜杵築城下〜
【勘定場の坂】
この上に北武家屋敷がある。
【磯矢邸薬医門】 【磯矢邸】
【磯矢邸】 【磯矢邸】 【長屋門】
【藩校門跡】 【能見邸】 【大原邸(改修中)】
【大原邸(改修中)】 【酢屋の坂】 【酢屋の坂】
【酢屋の坂】 【志保屋の坂】 【中根邸(改修中)】
【一松邸】 【展望台からの眺望)】 【南武家屋敷跡】
【寺町】 【寺町】 【天満社】
【道沿いの石仏】 【JR杵築駅】




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