powered by 地図Z ※赤線は登城経路ですが大体の位置を示すものです。 |
城名 | 日出城(別名:暘谷城) | ||
住所 | 〒879-1506 大分県速見郡日出町2610-11 |
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入場時間 | 鬼門櫓 開館時間:午前9時〜午後5時 |
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入場料 | 入場料:無料 定休日:月曜日(休日の場合はその翌日) および12/29〜1/03 |
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指定文化財 | 町指定史跡 | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | 複合型層塔式3重3階(1602年築・非現存) | |||
築城主 | 木下延俊 | |||
築城年 | 慶長7年(1602) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 木下氏 | |||
位置 | 北緯33度22分0.26秒 東経131度31分54.14秒 |
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地図 | 1 | 鬼門櫓 | ||
2 | 裏門櫓 | |||
3 | 天守台 | |||
4 | 大手門跡 | |||
5 | 二ノ丸・致道館 | |||
【歴史】 慶長6年(1601)日出藩初代藩主木下延俊は、姫路より移封入国すると、直ちに築城にかかり、翌年8月には大方の普請ができ入城した。城の縄張りは義兄の細川忠興が行い、石垣の構築は家臣で築城の名手穴生理右衛門が野面積で築き、木材は鹿鳴越の大木を用いたといわれる。天守閣は三層、二層のの櫓5ヶ所、平櫓1ヶ所あり、小城ながら堅城であった。二代藩主木下俊長が中国古書淮南子入り引用して暘谷と命名した。 二ノ丸、三ノ丸を設け、外郭には家臣の住宅や民家をとり入れた。明治7年(1874)大分県は城内建物を競売に付し取り壊したが、その一つの隅櫓は売却され、町内仁王地区に残っている。(これが移築修復された鬼門櫓です。) 本丸下の海岸は城下海岸と呼ばれ、眺望絶佳、大分百景別府八景の一つに指定されている。この海中の真清水が湧く一帯は「城下カレイ」の名で知られるカコガレイの生息地となっている。 【感想】 本丸には小学校が建っていますが、石垣など見るべきところは多くあります。 鬼門櫓が本来あった場所周辺はプールになってしまっていて若干改変されてしまっていますが、城の南側から天守跡にかけては野面積の石垣が見ごたえあります。 天守跡からの眺望も別府湾が一望でき最高です。 ただ本丸が小学校であるので平日は入るのに注意が必要です。 |
登城日 | 2013年9月28日(土) | ||
LINK | ひじナビ-日出町観光情報サイト | |||
日出城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | − | ※木下氏家紋不明 |
※説明板より |
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【鬼門櫓(移築)】 日出城の本丸東北隅に築かれた二階二層の櫓で、櫓の鬼門に当たる東北隅を欠いた特異な構造をしている。 |
【鬼門櫓東北隅】 | 【本丸堀と月見櫓跡】 | |
【大手門跡】 | 【城址碑】 | 【滝廉太郎像】 岡城と同じものがここに建っている。 |
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【本丸堀と鬼門櫓跡】 鬼門櫓が本来あった場所。 |
【明治初年の鬼門櫓】 | 【裏門櫓(移築)】 二ノ丸館(観光案内所)の一角にある。 |
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【本丸堀】 | 【裏門(搦手門)跡】 | 【鐘楼】 本来は、ここに裏門櫓があった。 |
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【堀跡】 | 【天守台】 | 【天守台】 | |
【望海櫓跡】 | 【望海櫓跡】 | 【望海櫓跡】 | |
【本丸南側石垣】 | 【本丸南側虎口】 | 【本丸跡】 現在は日出小学校になっている。 |
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【天守台】 | 【天守台】 | 【天守入口】 | |
【天守跡】 | 【天守跡からの眺望】 別府湾が一望に出来る。 |
【鐘楼】 | |
【釣鐘】 元禄8年(1695)三代藩主木下俊長の鋳造したものである。 |
【城下海岸】 城下の海中の清水の湧く海底で育ったカレイは特に美味で、特に「城下カレイ」と呼ばれ有名である。 |
【軍艦海鷹の碑】 南米航路の客船「あるぜんちん丸」を航空母艦に改装され船団護衛や輸送の任務に就き、南方作戦にて活躍。豊後水道にて触雷、日出の城下海岸に係留着底。その後空襲により中破し、そのまま終戦を迎えた。 |
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【本丸南側石垣】 | 【本丸西側石垣】 | 【本丸西側石垣】 | |
【二ノ丸石垣(修復中)】 | 【藩校 致道館(移築)(修復中)】 二ノ丸跡に移築され、現在は修復中。 |
【藩校 致道館(修復中)】 |