城名 一宇治城(別名:伊集院城、鉄山城、鉄丸城)
住所 〒899-2521
鹿児島県日置市伊集院町大田700
入場時間
入場料
指定文化財 市指定文化財
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 紀四郎時清
築城年 鎌倉時代
主な改修者 島津忠国
主な城主 伊集院氏、島津氏
位置 北緯31度37分46.4秒
東経130度23分21.3秒
地図 神明城
伊作城
南之城
釣瓶城
中之城
【歴史】
一宇治城は戦国時代の山城で、山の名は鉄丸山といい、一番高いところは、144mである。今から約九百年前、建久年間、郡司として着任した紀四郎時清が城を築いて四代130年程居住した。これを「古伊集院家」という。

その後、島津家の一族久兼が城主となり新しい伊集院家となった。やがて、文永・弘安の二回にわたり元の大軍十万が博多湾に来攻、久親・忠親の父子が参加して防戦し、神風の力も得て撃退することが出来た。この神恩に報いて「神明神社」を建てた。伊集院氏は四代「長門守忠国」の頃、勢力も強大となり文教も栄えた。忠国の子二人は僧になり、兄 南仲禅師は郡に広済寺を、弟 石屋禅師は徳重に妙円寺を建て全国に有名になった。後、南北朝の永い戦乱が始まり、忠国は南朝に味方し、北朝の島津と戦った。

この功により、従三位が贈られた。伊集院氏の伊集院支配も幕を閉じ、天文5年(1536)島津貴久が城に入り太守の居城となった.

天文18年(1549)9月29日フランシスコ・ザビエルが日本で初めてキリスト教布教許可を受けたのもこの神明城であったと推定される。

天文19年(1550)島津貴久は、鹿児島城に移り、後は地頭の支配となった。犬之馬場等も、貴久時代に整った。大手口は伊集院氏時代は荒瀬の方にあったが、島津氏が入ってからは犬之馬場の正面に変更された。
(城内説明板を編集)


【感想】
城山公園と整備されているため改変があるとは思われるが南九州特有の独立性の高い曲輪群で構成される造りは面白かった。表現も城としているので紛らわしい。
この城でザビエルが会見を行い日本のキリスト教布教が始まったと思うと感慨深い場所でもあった。


登城日 2014年6月20日(金)
LINK 一宇治城-Wikipedia
城主家紋 【丸に三つ十字】
(島津氏支族)
伊集院氏家紋
【丸に十字】
(惟宗流)
島津氏家紋

                      

探訪

※案内板より(加筆有り)
【伊集院駅前の島津義弘公騎馬像】 【千秋山雪窓院跡】
島津義久・義弘・歳久の母で雪窓院妙安大姉の菩提寺跡で、島津三兄弟が建立。
【島津義久公剃髪石にある石像】
これが剃髪した義久公なのだろうか?
それにしても2体あるのは何を意味するのか・・・
 
【島津義久公剃髪石】
豊臣秀吉の九州攻めの際、義久はこの地の座禅石の上で剃髪し僧体となって秀吉に謁して降を請いました。
【一宇治城址遠景】 【運動広場】
この場所にザビエル像が建つ
【ザビエル像】
ザビエル上陸450周年を記念して、城山公園内に建立。
【一宇治城氏碑】 【釣瓶城へ向かう堀底道】
【堀底道】
右が中平城、左は南之城下となる。
【釣瓶城の坂虎口下段】 【釣瓶城の坂虎口上段】
釣瓶城には腰曲輪が付いているようだ。
【釣瓶城】
内城とも呼ばれていた、30アール程度の平面な台地で神明城に次ぐ高い城跡。(ここで言う城は曲輪のこと)
【釣瓶城の土塁】 【釣瓶城の井戸跡】
【釣瓶城南西側の崖】
鹿児島特有のシラス台地が削られてできた急峻な崖になっている。
【南之城】 【南之城の土塁】
【南之城内の侵食崖】
最初井戸跡か何かと思ったが、南城内にはクレバスのような侵食崖がある。
【堀底道】
南之城側より撮影。右が釣瓶城、左が中之城になる。
【中之城南側坂虎口】
【中之城】
ここに”中平城”という看板が立ち、神明城の北側を守る云々が書かれているがここは神明城の南側なので看板が間違っているように思われる。
【中之城西側下】 【中之城西側の矢竹】
【中之城北側虎口】 【井戸遺構】
一宇治城にある3つの井戸のうちの一つで、伊集院氏の頃の物と思われる。。
【わんぱく広場】
ここには曲輪の説明はないため、何に使用されていたかは不明。
【蔵跡、神明城へと続く城道】
正面の階段上が蔵跡、左方向が神明城となる。
【蔵跡】
食料や武器を保管していた蔵が置かれていた場所。
【神明城への入口】
左手が神明城となる。
【神明城下段】 【ザビエル会見の地】
天文18年(1549)ザビエルと島津貴久が面会した記念として碑を建立した。
【ザビエル碑(会見記念の碑)】
昭和24年に建立。
【神明城上段】
神明城北端には展望台がある。
【展望台から見た伊集院市内】
晴れていれば正面に桜島が見える。
【伊作城へと続く木橋】
【木橋より見た伊作城】 【神明城西側下の横堀】
神明城と伊作城の間には横堀がある。
【神明城西側下の横堀】
【神明城西側下の横堀】 【伊作城の土塁】
土塁の向こう側が横堀となる。
【伊作城上段】
【伊作城下段】 【神明城西側下の横堀】 【神明城下段の土壇】
【伊作城より見たわんぱく広場】 【神明城下段東側下の石組(石垣)】
この箇所にのみ石組遺構が見られる。
【神明城東側下の横堀】
【憩いの広場】
ここも何かの曲輪の一つであろう。
【神明城東側下の横堀】 【神明城東側下の横堀】




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