城名 市来鶴丸城(別名:市来城、鶴丸城)
住所 〒899-2202
鹿児島県日置市東市来町長里174
入場時間
入場料
指定文化財 市指定文化財
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 市来氏
築城年 13世紀頃か
主な改修者
主な城主 市来氏、島津氏、伊集院氏、新納氏
位置 北緯31度39分41秒
東経130度20分58秒
地図 本丸
曲輪
枡形虎口
屋敷跡
【歴史】
市来鶴丸城は、鹿児島を代表する中世城郭でで標高106mの城山を最高地点とするシラス台地にあり、およそ南北に600m、東西に500m、面積20万平方キロメートル、鶴丸城と呼ばれる曲輪群と御惣坊城と呼ばれる曲輪群と供に市来城を構成していた。

『古城主由来記』等には『13世紀初頭市来家房が最初の城主』と記されている。また他の古文書では『建武4年(1337)市来院氏系惟守姓市来氏で御家人であった市来時家と島津貞久の子、川上頼久がこの城で合戦した』というのが記載されている。

その後この城は15世紀半ごろ守護島津家領となり、15世紀末に島津薩州家領となった。
そして天文8年(1539)島津相州家から戦国大名となった島津忠良・貴久が攻略し、伊集院忠朗が城を接収し、後に新納康久一族が守備した。 そして、16世紀末には、役目を終え廃城となった。

天文19年(1550)6月イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが、鹿児島から平戸へ向かう途中に当城に滞在し、また同年8月再度平戸へ向かうため市来湊から乗船するため当城に12日間滞在した。
(城内説明板より)


【感想】
訪れて時は平日でちょうど小学校の昼休み時間中であったため登城口に行くまでに小学生が遊んでいました。そして、私を見つけるとどこに行くの?と聞かれて困りましたね。ただザビエルのことを話すとあっちだよと教えてくれました。これも良いふれあいですね。
登城口ではザビエルに迎えられ、そこから山を登っていきます。
登城道の途中にも鹿児島特有のカルスト台地が侵食された自然の壕のような崖を至るところに見ることが出来ました。
これだと急峻な崖と変わらないので攻める場所が限られる城だったようです。


登城日 2014年6月20日(金)
LINK 日置市観光協会-市来鶴丸城-
城主家紋 【丸に十字】
(惟宗流)
島津氏家紋

                      

探訪

※案内板の復元図
【市来鶴丸城遠景】 【鶴丸小学校入口・石垣】
鶴丸小学校は屋敷跡になる。
【市来鶴丸城跡入口】
日置市東市来図書館と日置市立鶴丸小学校都の間にある。この前に東市来護国神社がありその脇が登城口となっている。
 
【登城口】 【フランシスコ・ザビエル像】 【聖F・ザビエルと家老ミゲル像】
【館跡】
現在は日置市立鶴丸小学校が建っています。
【大日寺の歴代住職の墓】
廃仏毀釈の影響で館跡に移されていたが、小学校の拡張によりこの場所に集められた。狭い場所に草ぼうぼうでいいのでしょうかね。
【枡形虎口】@
ここが大手口になるであろう、広い枡形構造になっています。突き当り右手は侵食された崖になっている。
【侵食された崖】 【登城道】
整備されているので登りやすい。
【虎口裏の崖】
【段曲輪】B
小規模の腰曲輪が数段ある。
【曲輪】B 【登城道脇の侵食崖】C
【登城道】D
この突き当り部分が堀切になっている。
【堀切】E 【堀切】E
【堀切】E
堀切奥側より。右側上が
Fの曲輪になる。
【曲輪】F
本丸とは跳ね橋により行き来していたようです。
【曲輪の土塁】F
【曲輪に残る礎石】F
この曲輪にはいくつかの礎石が残っている。
【本丸虎口】G
虎口付近には石組が見られる。
【本丸跡と城址碑】G
【本丸の土塁】G 【本丸奥の侵食崖】G
大規模な侵食崖がある。
【本丸の礎石】G
ここには祠でもあったのであろう。
【登城道の分岐点】 【曲輪】A 【南朝忠臣市来氏顕彰碑】A




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