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城名 | 三城城(別名:三城) | ||
住所 | 〒856-0031 長崎県大村市三城町 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 大村純忠 | |||
築城年 | 永禄7年(1564) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 大村氏 | |||
位置 | 北緯32度54分55秒 東経129度57分52秒 |
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地図 | 1 | 本丸 | ||
2 | 二ノ丸 | |||
3 | 三ノ丸 | |||
4 | 堀切 | |||
5 | − | |||
【歴史】 大村氏はそれまで中世からの大村館(城の北西、乾馬場町付近)に居していたが、キリシタン大名としても知られる大村純忠がこの地に本格的な城郭を造営することとし、永禄7年(1564年)に三城城が完成し移りました。 元亀3年(1572)には純忠と対立していた武雄領主の後藤貴明、諫早の西郷氏、平戸の松浦氏の軍勢に急襲包囲されたが純忠以下寡兵ながら持ちこたえ、援軍を待って包囲を解かせたことがあった。大村家では後年、これを「三城七騎篭り」と称した。 純忠の跡を継いだ嫡男の喜前が慶長4年(1599)に玖島城を新たに築いて移り、大村氏本城としての役目を終える。寛永14年(1637)江戸幕府の命により城は完全に破却され廃城となった。 現在、主郭(本丸)跡には、長崎県忠霊塔があります。また、城地内の一部が富松神社と三城神社の境内となっている。主郭東側の曲輪では発掘調査が行われ、大規模な堀、土塁や建造物跡が見つかり、当時の生活用品や鉄砲の弾が出土しました。 【感想】 三城城は長崎県立忠霊塔がある場所のみだと思って見ていたため、遺構は何もなく城を示すのは城址碑と切岸のみと思ったのですが、実際は忠霊塔の東側には堀切がありその東側には二ノ丸がある。また、富松神社、三城神社も城域で三城神社は三ノ丸になるとのこと。そのため今回見た場所は三城城の一部で何もない場所であった。先に調べてから行くべきでした。 |
登城日 | 2015年9月22日(火) | ||
LINK | 大村観光なび-三城城- | |||
三城城-Wikipedia- | ||||
城主家紋 | 【五瓜に剣唐花】 (大村直の後裔) 大村氏家紋 |
【三城城全景】 | 【登城口】 | 【本丸跡に立つ長崎県忠霊塔】 | |
【本丸跡に立つ長崎県忠霊塔】 | 【手水鉢越しの城址碑】 何もないのでお参りだけでも思ったら手水鉢の裏に城址碑がありました。 |
【城址碑】 | |
【本丸跡に立つ明治天皇像】 | 【本丸南側切岸】 | 【本丸南側切岸】 |