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城名 | 能島城 | ||
住所 | 〒794-2203 愛媛県今治市宮窪町能島 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 国指定史跡 | |||
城郭構造 | 連郭式海城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 村上雅房 | |||
築城年 | 応永26年(1419) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | (能島)村上氏 | |||
位置 | 北緯34度10分58秒 東経133度04分51秒 |
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地図 | 1 | 本丸 | ||
2 | 二ノ丸 | |||
3 | 三ノ丸 | |||
4 | 東南出丸 | |||
5 | 矢櫃 | |||
【歴史】 「日本最大の海賊」と称された三島村上水軍のひとつである能島村上氏の拠点として、伯方島伯方城を大根城とし、この能島城を詰の城として、応永26年(1419)に村上雅房によって築城された。 位置は瀬戸内海のほぼ中央、伯方島と大島との急潮たぎる海峡に位置する周囲約720mの能島とその南にある鯛崎島の2島で構成される。東には鵜島がある。 天文初年、宗家の吉益と戦って家督を奪い取り、能島水軍の頭領となった(能島騒動)。そして現在の宮窪に本拠を構えて能島と号し、中・西部瀬戸内海に監視・連絡網を設け、要所要所に城砦を構え、堺から坊津までといわれた海上王国を実現した。 能島水軍は小舟(小早)を多く駆使する機動戦、火薬の活用(焙烙玉)など、海上戦闘の達人であった。 能島衆は、弘治の厳島合戦参戦・勝利後、永禄の尼子・大友合戦、天正の木津川合戦と、毛利氏の中国・九州平定に協力し、瀬戸内海全域に勢力を延ばした。そして自らの海上権益を保障しあう盟約を結んだ。 武吉は、上関・厳島・塩飽(しわく)などの札浦で、瀬戸内海を航行する船舶から帆別銭・駄別銭などの関税を徴収し、それらに丸に上の字の過所旗を与え、その無害通行を保障した。 天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国平定後に小早川隆景の旧領安芸鎮海山城へと移され、能島城も廃城となった。 天正16年(1588)の「海賊禁止令」により海上特権を秀吉によって奪われ、その後能島村上氏は小早川隆景の筑前移封に伴い、筑前に移住し、能島水軍の歴史は終わった。この後村上氏は毛利氏の御船手(水軍)に転化していった。 江戸時代以降は無人島となったため、その城塞遺構はよく保存されており、城跡は国の史跡に指定され、島内には犬走りや丸い柱穴(ピット)が約460個も残り、天然の外堀として機能していた激しい潮流は、現在「潮流体験」で体感することができる。 【感想】 潮流体験の船に乗り込み能島へ。 丁度干潮になる時間帯のため能島周辺の潮流の変化を実際に見、体験できた。 能島の船溜まり付近は東、西の両側は特に潮流に段差ができるほどの激しさであった。 この潮流を人力だけで乗り越え島にたどり着くには相当の水練が必要であることから村上海賊(今ではこちらの呼び方の方が主流)がすごかったのかが実感できた。 城址は、よく整備され形状などをよく見ることが出来た。 海城特有のピッドなども確認することができた。 |
登城日 | 2017年3月12日(日) | ||
LINK | 日本遺産-村上海賊- | |||
潮流体験・能島水軍は村上海賊の里・瀬戸内しまなみ海道 | ||||
能島-Wikipedia- | ||||
城主家紋 | 【丸に上の字】 (清和源氏頼信流) 能島村上氏家紋 |
※「国指定史跡能島城跡散策マップ」より |
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【対岸より見た能島城跡】 | 【能島城全景】 | 【能島東側の潮流】 | |
【能島東側の潮流】 | 【能島東側の潮流】 | 【能島東側の潮流】 | |
【能島北側の船溜まり】 | 【能島北側の船溜まりの犬走とピット】 岸側の丸い柱穴には船を係留するための柱が建てられていた。 |
【能島西側の潮流】 | |
【能島西側の潮流】 | 【鯛崎島(出丸跡)】 | 【能島南側の平坦地(海岸埋立地)】 潮が引くと海底から約120本のピットが姿を現す。 |
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【現代の船着場と鯛崎島】 | 【城址碑】 | 【説明板】 | |
【水汲み場】 能島では飲み水がないため対岸から水を運んでいた。 |
【三ノ丸跡から見た南側平坦地】 | 【三ノ丸跡から見た北側の船溜まり】 | |
【三ノ丸跡から見た船溜まり】 丁度潮流体験の船が来たので往時もこのように船が入ってきて係留されていたのでしょう。 |
【三ノ丸跡から見た船溜まりの犬走とピット】 | 【三ノ丸跡】 | |
【三ノ丸跡】 | 【二ノ丸跡から見た三ノ丸跡】 | 【二ノ丸跡(西区)】 | |
【二ノ丸跡北側(帯郭)】 二ノ丸は本丸を囲うようにある。 |
【本丸跡】 | 【本丸跡より見た船溜まり】 | |
【二ノ丸跡(東区)】 | 【郭V(矢櫃跡)】 | 【二ノ丸跡(東区)より見た本丸】 | |
【二ノ丸跡(南区)から見た東南出丸跡と鯛崎島】 | 【東南出丸跡】 | 【東南出丸跡から見た城址】 | |
【鯛崎島】 | 【船着場脇にある往時の雁木】 往時はここから荷揚げ等を行っていた。 |
【能島南東側犬走】 | |
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【鯛崎島】 | 【鯛崎島南側のくじら地蔵】 その昔、鯨を助けたという話がある。 |
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【村上水軍博物館】 | 【村上元吉像】 | 【村上武吉像】 | |
【「村上海賊の娘」の記念碑】 | 【モニュメント】 | 【村上景親像】 | |
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【小早船(武吉丸)】 | − | − |