城名 撫養城(別名:岡崎城、林崎城)
住所 〒772-0016
徳島県鳴門市撫養町林崎
入場時間
入場料
指定文化財 市史跡
城郭構造 平山城
天守構造 なし(模擬天守:望楼型3層3階)
築城主 不明
築城年 不明
主な改修者 蜂須賀氏
主な城主 小笠原氏、四宮氏、益田内膳正忠
位置 北緯34度10分39.8秒
東経134度37分7.1秒
地図 主郭・模擬天守
二郭跡・石垣
二郭跡(妙見神社)
【歴史】
撫養城の築城年代は定かではないが、天正以前には小笠原将監が居城していたとされています。
その後三好氏家臣の四宮氏が城主になり、天正10年(1582)、長宗我部元親が阿波に侵入し、撫養城もその支配下に入りました。

しかし、天正13年(1585)羽柴秀吉の四国征伐によって元親の領土は土佐一国となり、阿波は秀吉家臣の蜂須賀家政に与えられました。家政は国内9ヶ所に城塞を設け、それを阿波九城と言い、そのうちの一つがこの撫養城になります。

撫養城は淡路渡海の押さえとして異母兄弟の益田内膳正忠を城番にし手勢300名をもって守らせました。

寛永15年(1638)一国一城令により阿波九城は破却されました。


【感想】
鳴門駅より妙見山を目指していくと撫養川越しに模擬天守が見えてきます。模擬天守とはいえ川越しに見る城は良く映えます。
城は妙見神社や公園となっているため改編されているため遺構は妙見神社裏手の石垣があるくらいです。
その石垣も本殿裏にあるのですがその奥を確認できないため構造が良くつかめませんでした。
模擬天守は現在「トリーデなると」になっており無料で中に入れ、眺望を楽しむことが出来ました。


登城日 2017年7月15日(土)
LINK 徳島県観光情報サイト-阿波ナビ〜撫養城・岡崎城〜
撫養城-Wikipedia-
城主家紋 【 卍 】
(清和源氏足利氏流斯波氏族?)
蜂須賀氏家紋

                      

探訪
【撫養川越しの撫養城】
模擬天守ですが映えます。
【妙見神社参道】
この参道より上に登っていきます。
【参道】
左手は神社の石垣でしょう。
【妙見神社・絵馬堂】 【二郭跡(妙見神社)】
鳥居右手の看板に撫養城ことも書かれています。
【妙見神社・拝殿】
妙見神社の裏手に撫養城の石垣がありますが、マムシ注意の表記があるので見に行く際は注意が必要です。
【塀跡】
妙見神社左手奥にちょっと入り込むと姿を現します。
【石垣跡】
妙見神社左手側の石垣跡。
【妙見神社本堂下で見られる石垣】
妙見神社本堂の下が通路になっており、石垣を見ることが出来ます。
石垣跡】
妙見神社右手側の石垣跡。
【本丸に建つ模擬天守】
現在は「トリーデなると」になっており展示スペースと展望台となっている。
【トリーデなると入口門】
展望台からの眺望】 【展望台からの眺望】




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