城名 | 一宮城 | |||
住所 | 〒779-3132 徳島県徳島市一宮町 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 徳島県指定史跡、とくしま市民遺産 | |||
城郭構造 | 山城 | |||
天守構造 | 不明 | |||
築城主 | 小笠原(一宮)長宗 | |||
築城年 | 南朝:延元3年、北朝:暦応元年 (1338) |
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主な改修者 | 蜂須賀家政 | |||
主な城主 | 小笠原(一宮)成助、蜂須賀家政、益田宮内 | |||
位置 | 北緯34度2分2.6秒 東経134度27分47.1秒 |
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【歴史】 一宮城は暦応元年(1338)、小笠原(一宮)長宗による築城とされ、鮎喰川の清流を前に臨み、背後には重畳たる山岳を控える徳島県内最大の山城である。 一宮氏の山城として整備されたが、天正10年(1582)、長曾我部元親の侵攻を受け、また、天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国征伐時には、鮎喰川を挟んだ辰ヶ山に陣を構えたとされる豊臣秀長と長曾我部元親との攻防の舞台となった。同年、豊臣秀吉の命により阿波に封ぜられた蜂須賀家政は一宮城を居城としたが、翌年、徳島城に移ると徳島城の支城(阿波九城の一つ)として、家臣の益田長行に守城させた。元和元年(1615)の徳川幕府の一国一城令によって、寛永15年(1638)廃城となった。 現在、標高144mの山頂の本丸を取り巻くように、明神丸、才蔵丸、小倉丸、椎丸、水ノ手丸などの曲輪、堀や土塁が依存し南北朝時代から戦国時代にかけての山城の荒々しさと、それを守っていた当時の武士の剛健な気風をしのばせる。現地点から約600mで本丸跡に至る。また、山麓の寄神社周辺は「御殿居」と呼ばれ、城主の居館跡であると伝承が残っている。 (バス停付近の説明板による) 【感想】 続100名城に選出された城跡。 徳島駅前より徳島バス 一ノ宮札所前行で約36分、一ノ宮札所前下車すぐ。 整備された登城道のなので登りやすい、登城道を進むといつしか堀底道になり竪堀に繋がる場所に出くわす。その横には才蔵丸があり侵入した敵の側面をつくことが出来る構造になっている。それを過ぎると門跡がありこの場所が白の重要拠点の一つであるとわかる。左に言えば明神丸、明神丸は先ほどの才蔵丸の上側に位置するので明神丸からも侵入した敵を迎え撃つことが可能だったのであろう。 本丸まだは帯曲輪が続き、一宮城最大の見どころ本丸石垣が見えてくる。 急峻な石段を登れば意外と広い本丸にたどり着けます。 登っていた側と反対側に下りて行けば小倉丸、横堀、さらには椎丸にも行けるのだが、椎丸の方は整備がされておらす藪漕ぎをしても曲輪の外観すらわからず撤退を余儀なくされた。 帰路は陰滝を見つつ下りてくると一宮神社裏に出てこれます。 |
100名城 スタンプ |
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スタンプ 設置場所 |
一宮城跡登山口説明板横 | |||
登城日 | 一回目:2017年7月16日(日) 二回目:2019年2月11日(日) |
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LINK | 徳島市公式HP〜一宮神社と一宮城跡〜 | |||
一宮城-Wikipedia- | ||||
城主家紋 | 【松皮菱】 (清和源氏小笠原氏流) 一宮氏家紋 |
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【卍】 (清和源氏足利氏流斯波氏族?) 蜂須賀氏家紋 |
※登城口の案内板より |
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※本丸手前の案内板より(加筆修正有り) |
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【一ノ宮札所前バス停付近】 | 【一宮城址碑】 | 【案内板】 | |
【登城口】 右手の案内板右手側ポストに続日本100名城のスタンプが入っています。左手側のポストに一宮城のパンフレットがあるので是非手に取り登城したい。 |
【経筒出土地(神宮寺跡)】 | 【登城道】 | |
【登城道分岐】 左:倉庫跡、直進:竪堀、右:登城道 |
【倉庫跡】 二ヶ所あるうちの一つ。普段は穀類や戦闘用の道具類を保管していた所。戦いの折に焼かれ、「ヤケムギ」(炭化麦」が出土しました。 |
【竪堀】 | |
【登城道】 斜面に沿って道があり、左側は崖になっている。 |
【登城道から見た曲輪虎口】 虎口は城内側からの坂口虎口になっている。 |
【曲輪跡】 | |
【倉庫跡・新正屋敷跡・天満谷越えへの分岐】 左側に以前は道があったのであろうが現在はロープが張られ行くことは出来ない。 |
【湧水】 本丸まで200m地点。 |
【湧水】 この湧水は最近のものらしいです。 |
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【登城道】 | 【堀切】 この堀切は明神丸から続く尾根を鉈で切ったように山を崩して作られています。堀切によって才蔵丸は孤立した曲輪となっている。 |
【才蔵丸前の堀切道】 | |
【堀切から続く竪堀】 | 【才蔵丸虎口】 | 【才蔵丸跡】 | |
【才蔵丸跡にある展望台】 | 【才蔵丸跡からの眺望】 | 【登城道脇の竪堀】 | |
【門跡】 門を抜けると右側に明神丸、左側に帯曲輪・本丸へと続く。そのことからこの門はこの城の要所であろう。 |
【明神丸前の案内板】 | 【明神丸虎口】 | |
【明神丸跡】 | 【井戸跡か?】 | 【明神丸跡からの眺望】 | |
【明神丸前から見た門跡】 | 【帯曲輪跡】 この帯曲輪は本丸と明神丸を結び、城を守る重要な曲輪となっていた。 |
【本丸石垣と井戸跡】 井戸は右手前方の辺りにあったとされる。 |
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【本丸石垣】 | 【本丸前の説明板】 | 【本丸石垣】 | |
【本丸虎口】 急峻な石段を登ると本丸跡になる。 |
【本丸虎口】 | 【本丸前説明板と井戸跡】 | |
【本丸跡】 | 【若宮神社】 | 【釜床跡】 | |
【釜床跡】 城の炊事場の跡で、北の斜面は石垣で築かれている。本丸下の釜床には石組が1基残っていますが、以前は数基が並んでいた。 |
【石組】 | 【釜床跡】 | |
【本丸石垣】 | 【本丸石垣】 | 【本丸石垣】 | |
【釜床跡から続く西側虎口】 | 【登城道】 | 【分岐】 左:水ノ手丸・小倉丸・椎丸・貯水池、右:陰滝へと続く。 |
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【投石用の石】 城を守るための投石が本丸の南斜面に見られる。 |
【登城道】 | 【曲輪跡】 登城道脇に標柱がある。曲輪はこの上にある。 |
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【堀切】 | 【堀切】 | 【曲輪跡】 | |
【堀切】 | 【曲輪跡】 | 【花畑(畑跡)】 現在は木々で覆われてるがこの下に畑があったようです。 |
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【花畑沿いの登城道】 | 【鉄塔】 小倉丸手前に送電線の鉄塔があり目印になる。 |
【分岐】 鉄塔のすぐ近くにあり、左は赤阪となっていますが何処に出るかは不明。右手に進めば水ノ手丸・陰滝・小倉丸・椎丸へと続く。 |
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【小倉丸へと続く城道】 | 【小倉丸下の案内板】 | 【小倉丸へ続く坂道】 | |
【小倉丸の虎口】 | 【小倉丸跡】 | 【小倉丸土塁】 | |
【小倉丸・櫓跡】 | 【小倉丸・櫓跡】 | 【小倉丸下の横堀】 | |
【横堀】 | 【横堀から続く竪堀】 | 【分岐】 左側は椎丸跡へ、直進(へんろ道)は貯水池・陰滝へと続く。 |
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【椎丸跡】 上に登るまでずっとこんな藪です。曲輪全体の規模も良くわかりませんでした。 |
【貯水池跡】 | 【貯水池跡】 | |
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【陰滝】 | 【陰滝】 | − | |
【一宮神社】 | 【太鼓橋】 一宮神社では江戸時代初期に建てられた本殿や、蜂須賀侯が入国した時に「国が丸く治まるように」という願いをこめて奉納したことに始まると伝えられる太鼓橋を見ることができます |
【手水鉢】 | |
【一宮神社】 | 【拝殿】 | 【大日寺】 四国八十八箇所霊場第十三番、四国三十三観音霊場第五番札所 |
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【水子供養】 | 【本堂】 | 【太子堂】 |