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城名 | 川島城 | ||
住所 | 〒779-3301 徳島県吉野川市川島町城山 |
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入場時間 | 午前9時〜午後5時 休館日:毎週月曜日 |
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入場料 | 無料 | |||
指定文化財 | 市史跡 | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | なし(模擬天守:望楼型3層4階) | |||
築城主 | 川島兵衛之進 | |||
築城年 | 元亀3年 | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 川島惟忠、林能勝 | |||
位置 | 北緯34度3分57.99秒 東経134度19分13.18秒 |
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地図 | 1 | 模擬天守 | ||
2 | 本丸跡(岩の鼻) | |||
3 | 二ノ丸跡(川島神社) | |||
4 | − | |||
5 | − | |||
【歴史】 元亀3年(1572)三好氏の家臣であった篠原長房を攻め(川島合戦)て滅ぼし、その功績によりこの地を与えられた川島兵衛之進が、長房の上桜城に変わって築城。川島氏は天正7(579)年に岩倉合戦で討死し、その子孫は備中へ逃れたとされます。 天正13年(1585)に羽柴秀吉が四国を平定すると、阿波は蜂須賀家政が任されることになり、徳島城を本拠に、阿波九城の一つ川島城は家老・林能勝(道感)が城番に当てられ整備し直されました。 林一族は大坂の陣で活躍するも養子の乱心のため、所領没収を余儀なくされ、川島城も元和元(1615)年の徳川幕府の一国一城令で廃城(正式には1638年に取り壊されたそうです)となりました。 しかし、その後も藩の役所などが置かれ政治・商工業の街として栄えていました。 昭和56年、勤労者野外活動施設として城郭型に復元されたのが現在の川島城である。 【感想】 最寄り駅「阿波川島駅」より徒歩約10分。 駅からも模擬天守は見えるので場所はわかる。 しかし、模擬天守ばかりに目が行くと模擬天守のみで終わってしまうが、実際は川島神社より西方の小高い丘「岩の鼻」の上が本丸跡になる。 いろいろ改変は有るようだが曲輪の形状はわかる。 模擬天守は意外と立派だが、管理人室には人がいるようだがほぼ無人、中に入るのを躊躇するが展望台は自由に出入りできる。その他は現在研修室になっているようです。 |
登城日 | 2017年7月15日(土) | ||
LINK | 徳島県観光情報サイト-阿波ナビ〜川島城〜 | |||
川島城-Wikipedia- | ||||
城主家紋 | 【 卍 】 (清和源氏足利氏流斯波氏族?) 蜂須賀氏家紋 |
【最寄り駅・阿波川島駅の陸橋上よりみた川島城】 模擬天守の左側の小高い部分が本来の本丸跡になる。 |
【川島城へ行く道中からみた模擬天守】 | 【模擬天守】 三ノ丸跡に建つなかなか立派な模擬天守です。 |
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【模擬天守と城址碑】 | 【模擬天守】 | 【模擬天守最上階からの眺望】 本丸跡のある岩の鼻越しに吉野川も見えます。 |
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【最上階の展示品】 城には関係がなく、ただ飾ってあるだけの様です。 |
【最上階の展示品】 | 【堀切跡】 二ノ丸跡(川島神社)と三ノ丸跡(模擬天守)間の堀切跡と思われる。 |
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【川島神社前にある川島城説明板】 | 【曲輪跡】 川島神社前に広がる曲輪、馬場として丁度良い広さがある。 |
【川島神社】 ここが二ノ丸跡とされる。 |
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【川島神社・本堂】 | 【二ノ丸跡】 | 【岩の鼻と呼ばれる丘】 | |
【大日寺の礎石】 岩の鼻に残る石垣は大日寺跡から移築されたもののようです。 |
【本丸跡にある忠霊塔】 | 【本丸跡】 | |
【本丸跡(岩の鼻)展望台からの眺望】 眼下に吉野川を見渡せる。 |
【本丸跡より一段高い櫓跡か?】 | 【左側の場所からの眺望】 | |
【多目的広場】 改変されているので曲輪跡なのかも不明。 |
【多目的広場からみた岩の鼻】 岩の鼻は岩が削岩され現在の形状になっているようです。そのためこの多目的広場も削岩され出来たものかも知れません。 |
【削岩された岩】 岩の鼻の下に置かれている。 |