城名 | 森陣屋(別名:久留島陣屋) | |||
住所 | 〒879-4404 大分県玖珠郡玖珠町森 |
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入場時間 | − | |||
入場料 |
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指定文化財 | 国指定名勝:旧久留島氏庭園 ・藩主御殿庭園 ・西鳳楼庭園 ・清水御門前庭園 大分県指定有形文化財:西鳳楼 |
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城郭構造 | 陣屋 | |||
天守構造 | − | |||
築城主 | 来島長親 | |||
築城年 | 慶長6年(1601) | |||
主な改修者 | 久留島通嘉 | |||
主な城主 | 来島氏(後の久留島氏) | |||
位置 | 北緯33度18分11秒 東経131度9分24秒 |
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【沿革】 慶長2年(1597)朝鮮の役で討死した父通総の跡を継いだ伊予国鹿島城主来島長親は、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の際、西軍に属したが、戦後義父福島正則や本多正信の取り成しにより改易は免れ、伊予国の替地として豊後森に1万4千石を与えられ豊後森藩が立藩された。 これには、知己の大坂商人よりの口添えもあったといわれている。また、名を康親と改めた(将軍・徳川家康からの一字拝領とみられる)。飛び地として大分湾に頭成港を領したものの、大半は海に属さない領地であり、水軍としての来島氏はこれで終焉した。 来島氏はその格式のため城を持つことが許されなかったため、康親はそれまで玖珠の拠点とされてきた角牟礼城を廃して、角埋山の山麓に陣屋を置き居館や城下町の建設を行い、来島氏の故地である伊予大三島の大山祇神社の祭神を勧請して三島神社(末広神社)を造営、2代通春の時に完成、この時来島の姓を久留島と改めました。改名理由は、義父福島正則の改易に伴い連座することを恐れたためといわれている。 文政7年(1824)から天保8年(1837)にかけて、8代通嘉は三島神社(後の末廣神社)を改築するという名目で石垣や茶屋の「栖鳳楼」を増築するとともに、藩主御殿庭園、栖鳳楼庭園、清水御門庭園を造らせ、清水御門庭園尾池は堀に見立てられ、清水御門は大手門、城構えのように整えた。 栖鳳楼は楼閣形式の茶屋で、真言宗の僧侶不退堂により名づけられたとされている。「紅葉の御茶屋」とも呼ばれる。8代、通嘉による三島神社修築の際に天守に見立てて建てられたといわれており、陣屋の象徴的な建物となっていた。 2重2階で、初重を瓦葺き、2重目を杉皮葺きとする寄棟屋根(現在2重目は銅板葺き)を被せ、紅い漆喰塗りの真壁造で、最上階を雨戸付きの内縁高欄の望楼としている。石垣に接して建てられており、建物1階と神社石垣の間に玄関がある。 そして最後の森藩主12代通靖の時、明治を迎えた。明治時代には、廃藩置県によって森藩は森県となり、森陣屋は森県庁となったが、ほどなく森県は大分県に合併した。森陣屋の建物は役所などに使われて昭和初期まで残っていたが、その後、一部を残して撤去されている。現在では、森陣屋の跡は三島公園として整備され、栖鳳楼や庭園が現存している。栖鳳楼は大分県指定有形文化財に指定され、庭園は「旧久留島氏庭園」(藩主御殿庭園・栖鳳楼庭園・清水御門前庭)として国の名勝に指定されている。 【感想】 角牟礼城の帰り道、丸木御門から清水御門へそこkら見る石垣は見事で、末廣神社に行けば桜の馬場がありまさに城。末廣神社のすぐ下には西鳳楼が建ち、それは櫓。豊後森藩資料館で聞いた話で納得。森陣屋の天守に当たるもので象徴的な建物とのこと。 そこから御長坂で下りて行けばさらに見事な石垣らしいのですが、残念ながら尾根伝いに下りてしまいました。 それでお藩主御殿庭園側から御長坂に行けば下から見事な石垣は確認できます。 久留島氏の大名としての意地が見られる場所でした。 |
登城日 | 2018年10月25日(木) | ||
LINK | 童話の里 玖珠町−旧久留島庭園(国・名勝) | |||
森陣屋-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【折敷に縮み三文字】 (清和源氏村上氏族) 久留島氏家紋 |
※案内板より(加筆あり) |
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【丸木御門】 | 【清水茶屋跡】 | 【石垣で区切られた空間】 |
【清水御門から見た清水御門前庭園】 | 【清水御門前庭園から見た清水御門】 清水御門は大手門に当たるそうです。 |
【清水御門入った所の石段】 かなりの勾配がある石段 |
【末廣神社(三島神社)の石垣】 | 【玉濃井と桜の馬場】 | 【桜の馬場】 |
【末廣神社(三島神社)】 | 【日本一の手水鉢】 | 【末廣神社(三島神社)】 |
【西鳳楼(現茶屋)】 城を持てないということで森藩8代藩主久留島通嘉が天守代わりとして建てたもの。「紅葉の御茶屋」とも呼ばれていました。 |
【西鳳楼庭園】 玄関に向かう七石を始めとする七五三石組法からくる祝儀の庭。 |
【西鳳楼前の石段】 |
【藩主御殿跡】 | 【藩主御殿庭園】 | 【藩主御殿庭園】 |
【喜藤次泣かせの石】 | 【御長坂の石垣】 | 【御長坂】 お城仕立ての境内によく似合う参道で、上り詰めると右上に忍者返しの石組があり、さらに進むと西鳳楼・末廣神社にたどり着く。また、ここから馬で桜の馬場まで行くことが出来る。 |
【森藩8代目藩主・久留島通嘉像】 | 【藩主御殿跡】 石垣が組まれた上に御殿はありました。 |
【森陣屋と角牟礼城跡】 |