門  
   城の出入口は虎口と呼ばれ、門はこの虎口につくられた建築物をいう。虎口はもともと小さい口という意味であったといわれ、戦略的に
   重要な場所である。
   古代山城では城門跡の礎石に門扉の支柱を入れる穴が見つかることが多い。多賀城などでは、築地塀を開けた門は掘立柱の八脚門であった。
   中世武士の舘の門建築は、絵巻物から見ることができる。棟門・二階門の矢倉門がある。
   その後は、二階門を中心とした城門が見られるようになる。二階門んで現存しているのは姫路城内に豊臣秀吉時代の大手門と伝承されている
   「との一門」がある。この二階門が発展したものが櫓門になる。
   近世に入ると門建築はその形式が細かく分かれ、現存する門建築の多くは櫓門と高麗門である。
1.構造による分類
分 類 写 真 説    明
二階門 櫓門の原型の形式
姫路城 「との一門」
矢倉門 板を立てた囲いのある台を門の上に載せたようなものが建てられていた。
荒砥城
櫓門
(渡櫓形式)
石塁に開けた虎口に門を設け、この上に多聞櫓を架け渡した形式の門。
江戸城 「大手門一之門」
櫓門
(二階門形式)
二階門形式の櫓門は、櫓が上層に建ち、屋根は入母屋または切妻屋根である。この屋根が各層にあるもの(二重門)と櫓の部分だけあるもの(楼門)とがある。
土塁で囲む東日本の城に多く見られる。
弘前城 「追手門」
高麗門 高麗門は二本の支柱の上に冠木を渡して切妻屋根を上げる。支柱の後ろに控柱を建て、控柱と扉を雨から守るため屋根を付けた門で単独で建つものも多く、城門として一般的なもの。
江戸城 「田安門
埋門 埋門は土塁や石垣の中をトンネル状に穴を開けるものと、塀の内側を下げ階段をつくって石門を築く形式がある。
二条城 「西門」
※本来ここには木橋が架かっていた。
水門 水門は、水の手門、船着門などとよばれる。
高松城 「水手御門」
棟門 棟門は、唐屋敷という礎石の上に二本の柱を建て、冠木を渡して結び、柱先端の肘木と冠木の上にのる腕木を合わせて蹴放し、切妻屋根をのせる門。
姫路城 「水の一門
薬医門 薬医門は、棟門の発展型で二本の本柱と控柱を建て、冠木を渡し、門全体を一つの屋根で覆った門で、多くの城に使用されている。
水戸城
唐門 唐門は、屋根に唐破風を平側あるいは妻側にあしらった棟門あるいは四脚門のことで桃山期から江戸初期のころに豪華な装飾でつくられるようになった。
唐門は、中納言(三位相当)以上の官位の公家でないと構えることができない格式の高い門である。
二条城
冠木門 冠木門は、二本の柱の上部を冠木とよぶ横架材を組み込んだ屋根のない簡単な構造の門である。江戸時代では、高麗門や棟門を冠木門と称していたが、現在では門の構造的特徴から、門形式を個々によんでいる。
岐阜城 「織田信長居館入口」
長屋門 長屋門は、近世の武家屋敷の表門として細長い建物を屋敷地の区画の境界や囲いとして使用し、建物の一部を出入り口として門扉をつけた形式である。
武家屋敷の長屋門(赤穂藩大石邸)
石造りの城門  石垣の一部を開いて門としたもの。
会津若松城天守台の地階出入口


 2.用途による分類
   城門は設置される場所や用途によって様々な名称がつけられている。城郭により特徴的な名称があり、例えば姫路城では、ひらがなの「いろは」
   を使い、江戸城ではほとんどが地名や預かり大名の名、一を示す名になっている。
   一般的に多く称されている城門を下記で見てみよう。
分  類 写 真 説 明
大手門
(追手門)
城の正面虎口に建つ門を大手門とよび、当初は追手門といっていた。

写真の大阪城大手門は枡形を形成しており左に曲がると一之門(渡櫓門)がある。二之門は門扉の表面に鉄板が張られているため鉄門にもなっている。
大阪城 「大手門ニ之門」
搦手門
(不明門/不開門)
大手に対して城の裏口を搦手とよび、ここの門建築を搦手門とよんだ。
城郭の中では、搦手門と称する門は少なく、搦手口の門の名称の多くは不明門(ふめいもん)、不開門(あかずのもん)とよばれる。通常は門扉を閉め、有事の際に開ける門をいう。
和歌山城 「岡口門」
太鼓門 太鼓櫓と同じ登城合図や時を知らせるために太鼓を備えた門を太鼓門という。
松代城
鉄門 鉄門(くろがねもん)とよばれる門は、鉄板を門扉や柱に貼ったもので、耐火性があり、大手をはじめとする重要な門に多く用いられた。
会津若松城
筋鉄門 鉄門のように門扉全体を鉄板で覆わずに、等間隔に細長い鉄板を貼った門を筋金門とよぶ。
大規模城郭に数多くみることができる。
福山城
銅門 鉄板ではなく銅板を貼った門を銅門(あかがねもん)という。
小田原城









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