庭園の役割
   城めぐりをする際に、庭園の方も足を延ばす人も多いかと思います。
   庭園は大名の別邸として、城を離れて休養をするために築かれただけではなくそこには重要な役割を果たす防衛戦略があります。
   城がいの庭園には、城の弱点となる方向を押さえ、有事の際には、支城として防衛拠点とする目的がありました。
   特に城に隣接している兼六園、後楽園は城のもう一つの曲輪としての役割がありました。
1.主な大名庭園
庭園名 所在城:城下 写真 説明・LINK
御薬園 会津若松城 会津松平氏の庭園。室町時代の領主葦名盛久が霊泉の湧き出たこの地を別荘にしたことに始まるという。松平氏2代保科正経が薬草園をここに設け、各種の薬草を栽培させたことから「御薬園」の名が起こった。3代松平正容の時代に近江の目黒浄定を招き、遠州流によって本格的な借景園を築庭させた。園内には泉石・灯籠・樹木が巧みに配してある。中央には心字の池があり、島には数寄屋造りの楽寿亭が建つ。
偕楽園 水戸 偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三公園」のひとつで、天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園されました。斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、「偕楽園」をつくりました。約13haの園内には約百品種・三千本の梅が植えられ、早春には観梅客でにぎわいます。日本三名園の一つ。
兼六園 金沢 兼六園は、「廻遊式」の要素を取り入れながら、様々な時代の庭園手法をも駆使して総合的につくられた庭です。いくつもの池と、それを結ぶ曲水があり、掘りあげた土で山を築き、多彩な樹木を植栽しているので、「築山・林泉・廻遊式庭園」とも言われています。日本三名園の一つ。
玄宮園 彦根 彦根城の北東にある、大池泉回遊(だいちせんかいゆう)式の旧大名庭園。彦根城天守閣や茂った木々を背景に、大きな池に突き出すように臨池閣(りんちかく)が立ち、築山には鳳翔台(ほうしょうだい)があります。楽々園とともに国指定の名勝です。
二条城ニ之丸庭園
二条 作庭の年代については記録や作風から推測して、慶長7年(1602)〜8年(1603)頃(家康時代)二条城が造営されたときに、その建築に調和させて作庭されたもの。書院造庭園である二の丸庭園は神泉蓬莱の世界を表した庭園と言われ、また八陣の庭とも呼ばれています。二の丸御殿大広間上段の間(将軍の座)、二の丸御殿黒書院上段の間(将軍の 座)、行幸御殿上段の間(天皇の座)・御亭の主に三方向から鑑賞できるように設計されていました。
 
後楽園 岡山 岡山後楽園は、岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて、貞享4年(1687)に着工、元禄13年(1700)には一応の完成をみました。その後も、藩主の好みで手が加えられましたが、江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられてきました。
 
養翠園 和歌山 養翠園は,文政年間(1818〜1829)に紀州藩第十代藩主徳川治寶によって造営された藩主の別邸である。この地はもと藩士の山本理左衛門の下屋敷と伝えられるが,大浦湾に面した景勝地であるので,藩の御用地として精美をつくした大庭園が造営された。
栗林公園 高松 元亀、天正の頃から当地の豪族であった佐藤氏によって、西南地区に築庭されたにおに始まるといわれ、その後、寛永年間(1625年頃)讃岐領主生駒高俊公によって、南湖一帯が造園され、寛永19年(1642)入封した松平頼重公に引き継がれた。以来5代松平頼恭公に至る100年余の間、歴代の藩主が修築を重ねて延享2年に完成。
旧徳島城表御殿庭園 徳島 徳島城表御殿の小書院と表居間に面する庭園で、枯山水と築山泉水庭園からなる1.53ヘクタールの回遊式庭園。桃山時代の武将上田宗箇の作とされますが不明です。豪壮な造りの桃山様式を顕著に伝えた城郭庭園として昭和16年12月13日、国の名勝に指定されました。築山泉水庭は東側の堀川から海水を導入し、潮の干満が分かる「潮入り庭園」でした。(枯山水にある全長10.35mの青石橋は中央で折れていますが、初代藩主蜂須賀至鎮の踏み割り石との伝説があります。)
天赦園 宇和島 本園の面積は11240uを有する池泉回遊式庭園であり、昭和43年に「名勝」の国指定を受けた。池庭護岸や東南部の石組には陰陽石の扱いが見受けられ、三尊石組、立石と平天石の組合せ等心を楽しませるものがある。芝生の南部には枯滝石組と枯流石組があり、この枯流の中に二個の水分石が用いられ、両岸には臥牛石、虎吠石等が対立し壮言な竹林を背景として、静かなたたずまいを見せている。
浜離宮恩賜公園 江戸城 海水を引きいれた潮入の池と、二つの鴨場を伝え、江戸時代には江戸城の「出城」として機能を果たした庭園。甲府宰相の松平綱重が海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てました。その後将軍家の別邸となり「浜御殿」と呼ばれるようになり、後に皇室の離宮となり、名称を「浜離宮」に変え、東京都に下賜され現在に至る。国の特別名勝及び特別史跡に指定。
小石川後楽園 江戸時代初期、寛永6年に水戸徳川頼房が中屋敷(後に上屋敷)として造ったもので二代目光圀の代に完成した回遊式築山泉水式庭になっている。中国の風物を取り入れた中国趣味豊かな庭園。
国の特別名勝及び特別史跡に指定。










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