城名 会津若松城(別名:鶴ヶ城、旧名:黒川城)
住所 〒965-0873
福島県会津若松市追手町1-1
入場時間 午前8時30分〜午後5時(入城締切午後4時30分)
休城日:無休
入場料 天守閣に入いる際に必要です。
天守閣のみ
大人 400円
茶室麟閣のみ
大人 200円
天守閣と茶室麟閣共通券
大人 500円、小人 150円
指定文化財 国定史跡
城郭構造 悌郭式 平山城
天守構造 望楼型(1593年築)層塔型(1611年改)
現在:層塔型外観復元(1965年再)5重5階 鉄筋コンクリート造り
築城主 葦名直盛
築城年 1384年
主な改修者 蒲生氏郷、加藤明成
主な城主 蒲生氏郷、加藤明成
位置 北緯37度29分15.78秒
東経139度55分47.23秒
地図 武者走り
御三階跡
月見櫓跡
黒鉄門
茶壷櫓跡
100名城
スタンプ

【沿革】
1384年(南朝:元中元年、北朝:至徳元年)、葦名7代の葦名直盛が小田垣の館または東黒川館という館を造ったのが若松城のはじまりとされる。諸説あるが、おそくとも15世紀半ばまでには黒川城とその城下が成立していた。以後代々葦名氏の城であった。戦国時代中後期には、英傑・葦名盛氏が出て、黒川城を中心に広大な版図を築いた。

1590年(天正18年) 蒲生氏郷が黒川城に入る。

1593年(文禄2年) 望楼型7重(5重5階地下2階とも)の天守が竣工。黒川を若松と改め、町割りを作る。また城の名も「鶴ヶ城」と命名。近年の発掘調査で蒲生時代の石垣の基底部が確認され、鐙瓦(軒丸瓦)、宇瓦(軒平瓦)、鬼瓦の一部に金箔が貼られたものが出土している。

1595年(文禄4年)蒲生氏郷四十歳にならずして死去。原因はいろいろな説がある秀吉の毒殺、政宗の毒殺など。氏郷の辞世は 「限りあれば吹かねど花は散るものを 心みじかき春の山風」 というもので、天命の無情に対するかれの無念が感じられる一首である。

1598年(慶長3年) 氏郷の子・秀行は家中騒動のために92万石から18万石に下げられ下野国宇都宮に移封された。越後国春日山より上杉景勝が120万石で入封。

1600年(慶長5年) 徳川家康は関ヶ原の戦いで西軍に加担した上杉景勝を30万石に下げ、出羽国米沢に移封した。

1601年(慶長6年) 蒲生秀行が再び入城したが、1627年(寛永4年)嫡男の忠郷に嗣子がなく没したため、秀行の次男・忠知が後嗣となり伊予国松山に移封された。代わって伊予松山城より加藤嘉明が入封。子の明成は西出丸、北出丸などの造築を行い、1611年(慶長16年)に起きた会津地震により倒壊した天守を今日見られる層塔型天守に組みなおさせている。

1643年(寛永20年) 加藤明成は改易され、出羽国山形より3代徳川家光の庶弟である保科正之が23万石で入封。以後、明治維新まで会津松平氏(保科氏から改名)の居城となった。

1868年(明治元年) 戊辰戦争の際には会津戦争にて会津勢の立て篭もる若松城は1ヶ月の間持ちこたえ、板垣退助勢に、薩摩の援軍の助けをかりても遂に城は落ちなかったが、その後開城された。戦後、天守を含む多くの建造物の傷みは激しく、その後も放置されたまま破却を迎えている。この会津戦争の際に白虎隊の悲劇が生まれている。

【感想】
会津若松城は好きな武将の一人蒲生氏郷の城だあったこともあり感慨深いお城です。幕末期の動乱のなか幕府に味方し最後まで意思を貫いた人たちがいた場所であり、飯盛山には白虎隊の墓もありいろいろと考えさせられるお城です。

スタンプ
設置場所
天守閣内売店
登城日 初 回:2008年8月11日(月)
2回目:2008年11月3日(月)
3回目:2012年7月1日(日)
4回目:2013年1月13日(日)
LINK 会津若松市観光公社HP
会津若松城-Wikipedia
城主家紋 【三つ引両】
(桓武平氏三浦氏流)
葦名家家紋
【対い鶴】
(藤原氏秀郷流)
蒲生家家紋

【下り藤】
(藤原氏利仁流)

加藤家紋
その他 会津松平氏庭園


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探訪

観光
 会津若松駅   
【JR会津若松駅】 【白虎隊士の像】 【ホームの赤べこ】
会津若松のマスコット『あかべえ』
 レオ氏郷南蛮館
【レオ氏郷南蛮館】
ここは穴場かも知れませんね。お城にちなんだ資料もあります。天主を再現した部屋もあります。
【天主の間】
再現しています。
【呂宋茶壷】
 阿弥陀寺
【御三階】
外観は三階ですが内部は4層になっており、2階と3階の間に天井の低い部屋があります。
3階に上がる梯子は用のないものが上がれないように、上から引き上げる仕組みになっており、当時は密議所に使用されていたと思われます。
阿弥陀寺に移築されているが、会津若松城で唯一現存する建物。
【御三階玄関の唐破風】
徳川の葵御紋が彫られています。
【斉藤一の墓】
新撰組三番隊隊長斉藤一の墓、戊辰戦争後名前が変わって藤田五郎になっています。
戊辰戦争下、会津に西軍が迫った時「会津候あっての新撰組、会津を見捨てることはできない。」と土方と別れ会津に残った。会津藩降参後幽閉され、その後警視庁に入り西南戦争にも参加。
半生を会津人として生きた本人の希望により阿弥陀寺に眠っている。
 蒲生氏墓所
【蒲生忠郷の墓】
蒲生藩三代目の城主、疱瘡を患い25歳の若さで病死した。
【蒲生氏郷の墓】
【蒲生氏郷の墓】
信長に最も愛された武将で、信長の娘婿。もう少し早く生まれていれば秀吉に天下はいかなかったかもと言われるほどの実力の持ち主。
秀吉に会津へ移封を言われた際はどんな気持ちだったのだろう、伊達と徳川への監視役として会津に来たわけですが、若くして他界してしまいます。彼の辞世の句がそんな気持ちを表していると思います。
「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき 春の山風」
大好きな武将なので、感慨深いものがありました。
【蒲生氏郷の墓】
2012/7/1
【蒲生氏郷の墓】
七層天守顕彰碑(2012/7/1)
 直江兼続屋敷跡(山鹿素行生誕地)・日新館天文台跡
【直江兼続屋敷跡】
大河ドラマで「天地人」をやる前は、山鹿素行生誕地だけだったのですが、2012年に訪れたら直江兼続屋敷跡の方が目立つようになっていました。
【日新館天文台跡】
鶴ヶ城の西側にあり、白虎隊の少年たちも文武を学んだ全国有数の学校でしたが、戊辰戦争で消失し、現在はこの天文台跡だけが残っています。
【日新館天文台跡】
 飯盛山
【白虎隊士中一番隊19名の墓】
飯盛山にて自刃した19名の墓。
【ムッソリーニから送られた像】
1928年にベニート・ムッソリーニが白虎隊の精神に感心して元老院とローマ市民の名で寄贈したという古代ローマ時代のポンペイから発掘された宮殿の石柱による記念碑がある。これらは第二次世界大戦後、進駐軍により破壊されたが、後に一部が復元された。

清いイメージの白虎隊とファシズムに走ったムッソリーニとは相反するもののように感じるから、この空間はなにか異様に感じるものがあります。
【郡上藩凌霜隊之碑】
お城に籠城したのは会津藩だけではなく岐阜の郡上藩の凌霜隊も籠城し奮戦した事績を偲び碑にした。
【飯沼貞吉の墓】
白虎隊士中一番隊唯一自刃し一命を取り留めた飯沼貞吉の墓。この人が一番苦しかったでしょうね。この人の思いを考えるだけでも、この悲劇はあってはいけないものです。
白虎隊のことに関しては晩年になり重い口を開き、現在に伝わっている。
【白虎隊自刃の地】
お墓より下がった位置に自刃した場所があります。ここからお城が見ると、そのときの出来事が思い浮かびます。
【自刃の地から見た鶴ヶ城】
【さざえ堂】(旧正宗寺 三匠堂)
中が螺旋状になっていて入口と出口が異なっており、一度通った通路は通らずに外に出れる珍しい建築物です。
【さざえ堂】
横から見るとらせん状になっていることを見ることができます。
【戸ノ口堰洞窟】
猪苗代湖の水を会津に引くため、使役人夫5万5千人と3年の歳月を費やして完成させた。
【厳島神社】 【子育地蔵尊】
 滝山本陣
【旧滝沢本陣】
戊辰戦争時、本営となり、慶応4年(1868年)8月22日、藩主松平容保が白虎隊士中二番隊に、敵を迎え撃つべく戸ノ口原への出陣を命じたところでもある。
【旧滝沢本陣庭】 【旧滝沢本陣庭】
【旧滝沢本陣庭】
手前に石臼が庭の敷石として使用されているのがわかる。
【旧滝沢本陣の柱】
この柱には刀傷が多くつけられ表面が凸凹になっているのが見られ、激戦だったことが伺える。
【弾痕跡】
 会津武家屋敷

グルメ

お店全景

田舎そば 大盛り\1,080-
普通盛は\880-
ジャンル:そば
店名:東山庵
住所:会津若松市東山町大字石山字天寧161
TEL:0242-26-6013
営業時間:昼/11:00〜15:00 夜/17:00〜20:50
定休日:無休
予算:¥750〜
HP:http://r.goope.jp/higashiyamaan
お城の案内所で紹介してもらった所です。
お城から東にまっすぐ行くとあるのですが、結構な距離があります。
お昼の時間から外れて行ったのでお客さんはいませんでした。誰もいないのでちょっと不安になりましたが、紹介してもらっただけのことはありますね。(お昼時は混んでます)
しっかりとした麺で香りも良かったです。

田舎そば、冷たいおそばに鰹節がごっそりのってとてもおいしかったです。
ジャンル:そば
店名:桐屋・権現亭
住所:福島県会津若松市上町2-34
TEL:0242-25-3851
営業時間:
昼 11:00〜15:00
夜 平日  :11:00〜21:30(L・O 21:00)
  日・祝日 :11:00〜20:00(L・O 19:30)
定休日:水曜日
HP: http://kiriyasoba.co.jp/index.php

甲賀町門口跡近くにあります。
手打ちのそばの食べ比べができます。
店内も落ち着いた作りでゆったりと美味しいお蕎麦がいただけますよ。
写真は、こだわりそば三種盛り(飯豊権現そば・会津頑固そば・会津のかおり) そば三昧 \1,650円
ジャンル:そば
店名:蕎麦 かやの
住所:福島県会津若松市追手町5-34
TEL:0242-27-0825
営業時間:11:00〜20:00
定休日:不定休
情報:食べログ
鴨汁石臼粗挽き蕎麦(大盛り)と野菜天ぷら
石臼粗挽き蕎麦なので蕎麦自体は短くなってしまうようです。味と風味はいいのですが短いのでちょっと食べづらいです。
場所は北出丸のバス停付近なので城に近く便利です。
ジャンル:居酒屋
店名:北の酒林
住所:福島県会津若松市駅前町8-25
TEL:0242-22-2248
営業時間:?
定休日:?
情報:食べログ

会津若松駅に程近いため、駅近くに宿をとった際には重宝します。会津ならではの馬刺し、鰊山椒漬、鰊田楽は美味しいです。そしてお店おすすめの手羽焼きも美味しかったです。会津のお酒と一緒にどうぞ(^-^)





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