城名 腰越城(別名:根古屋城、安戸城)
住所 〒355-0327
埼玉県比企郡小川町腰越
入場時間
入場料
指定文化財 県指定史跡
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 山田清義
築城年 治承4年(1180)
主な改修者
主な城主 山田氏
位置 北緯36度02分42.2秒
東経139度13分55.0秒
【歴史・沿革】
腰越城は、槻川に三方を囲まれた天然の要害の地に築かれた戦国時代の典型的な山城です。本郭からは、東に小川筋、西に安戸筋(東秩父村)をよく眺めることができます。城跡には「城山」、西側山麓には城を守る武士達の居住地を示す「根古屋」、南東側山麓には城への入口を思わせる「榎木戸」などの地名が残っています。

腰越城の築城年代は『青木家家譜』によると治承4年(1180)、山田伊勢守清義が宇治川の先陣 に敗れた後、籠居するために築城したものという。その後山田氏累代の居館となった。
天文年間には、安戸を根拠地とする、松山城主上田氏の家老として仕えた山田伊賀守直定(1562年没)の居城と伝えられ、安戸の入口を守る重要な役割を果たした城と考えられます。

城跡は最高所の本郭を中心に、二の郭・西の郭(三の郭)・帯郭・竪堀・堀切などから構成されています。中でも寄せ手の横への移動を防ぐ竪堀が多いことや、本郭へ至る通路が複雑なことがこの城の大きな特徴です。
(「説明板」より(一部加筆))

【感想】
城跡はハイキングコースになっているようで、登城口からは少し急峻な道が続きますが、山上の方は整備され歩きやすい状態になっています。
登城したのが夏の最中でしたが、山の木々のお陰もあり涼しくまわれます。夏場は藪蚊が多いので虫よけは必須です。
登城道は山上の竪堀に繋がり堀切へと出ます。そこから進み一度下がると竪堀や横堀、腰郭を見ることができ囮小口(ここでは虎ではなく小と書かれています)などがあり、技巧的な部分も見ることができます。
本郭からの眺望は良いということですが、夏場は木々が生い茂り、眺望はあまり良くないです。
登城日 2020年08月04日(火)
LINK
城主家紋

                      

  
探訪

※城内案内指標 腰越城跡 配置図より(加筆有り)
【腰越城跡遠望】 【パトリアおがわの駐車場にある案内板と模型】 【登城路の指標】
【登城口の指標】 【腰越城跡の指標】 登城口】
いまはやや朽ちかけている。ここに木の杖があるので利用できます。
【@堀切に続く竪堀(登城道)】 【@堀切】 @とAに挟まれた平場】
【@とAの二重堀切】 【A堀切】 @とAの二重堀切】
【B帯郭】 【分岐】
下:竪堀や横堀などの遺構に続く
右:二の郭・腰郭に続く
C-1 竪堀】
城跡の竪堀の下は民地なので下りないよう注意書きがある。
【C-2 竪堀】 【D横堀と土塁】 【竪堀
【D横堀と土塁】 【E竪堀】 【F腰郭
【F腰郭】
腰郭の端に石積みが見られる(これが遺構かどうかは不明)
【囮小口と腰郭】
境界には竪土塁があり、ここに石積みが点在している。
登り石垣なのだろうか?
【囮小口へと続く城道
【F腰郭の上の腰郭】
ここにも石積みが見られる。
【G囮小口】 【G囮小口
本来、この部分には塀の様なものがあり、間違って侵入した敵をここで撃退したものと思われる。しかし、今は登れてしまうので確認をするとL小口郭に出てしまう。
【帯郭側から見たH堀切】 【H堀切】 【I西の郭(三の郭)
【J土塁】
この奥には小高くなった基壇の様な場所がある。
【I西の郭(三の郭)】 【H堀切
【H竪堀】 【K小口】
こちら側が本当の小口。
【K小口
【L小口郭】
正面右側に囮小口がある。
【L小口郭から見たG囮小口】 【M二の郭
【M二の郭】 【N本郭小口】 【O本郭
【本郭跡の碑】 【城址碑と説明板】 【本郭からの南側の眺望



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