城名 | 花崎城(別名:花崎遺跡) | ||
住所 | 〒347-0032 埼玉県加須市花崎2丁目 | ||
入場時間 | − | ||
入場料 | − | ||
指定文化財 | 加須市指定史跡 | ||
城郭構造 | 平城 | ||
天守構造 | なし | ||
築城主 | 不明 | ||
築城年 | 不明 | ||
主な改修者 | − | ||
主な城主 | 細萱民部少輔光仲 | ||
位置 | 北緯36度06分42秒 東経139度37分41秒 |
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【歴史・沿革】 ・花崎遺跡 この公園及び線路の北側に広がる一帯は、花崎遺跡といい新編成武蔵風土記稿に記載されている花崎城があったところである。昭和55年から昭和56年にかけて発掘調査が行われ、畝堀、馬出、橋脚及び大変珍しい障子堀などが出土した。そこからは擂鉢、かわらけ、ほうろく、美濃焼陶器、常滑焼陶器、板碑、石臼、弾丸などが出土した。 これらの出土品は16世紀のものである。その他縄文時代の土器や石鍬また平安時代の住居跡、土師器、灰釉陶器及び砥石などが出土した。 この地域は縄文時代から人々がいて、平安時代には住居を構え住みつくようになった。また、戦国時代になると居館を構え戦いに備えていたところであったことが発掘調査により解明された。 (説明板より) ・花崎城 花崎城は、粟原城(久喜市)の支城として築城されたと考えられている。長尾景虎(上杉謙信)の小田原攻めの時に、家臣の木戸宮内少輔に花崎城を攻めさせたことが記録にある。このとき、城主の細萱民部少輔光仲は小田原城に参陣していたので、幼少の細萱泰秀が守っていたが花崎城、粟原城とも落城した。 城跡は南側の「花崎城山公園」の本丸跡と線路の北側の「花崎城跡公園」の馬出跡が残る。遺構は本丸跡に曲輪を囲む堀が残る。 【感想】 期待しないで行きましたが、本丸跡を囲む堀が残り、西側は水を湛えています。この水があったから縄文時代のころから人が集まり、集落を構え、時代が経つにつれ、その姿を変えていった歴史が感じられます。 残っている堀は、きっともっと深く幅もあったことでしょう。 |
登城日 | 2020年12月20日(日) | |
LINK | 花崎遺跡-加須市HP- | ||
花崎遺跡-Wikipedia- | |||
城主家紋 | − |
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