城名 | 高取山城(別名:高取城、越生要害山城、要害山城)) | |||
住所 | 〒350-0416 埼玉県入間郡越生町越生 |
|||
入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 越生氏 | |||
築城年 | 鎌倉時代 | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 越生四郎左衛門尉 | |||
位置 | 北緯35度57分37.49秒 東経139度17分29.68秒 |
|||
【歴史・沿革】 越生神社の奥宮あある高取山には中世の山城跡「高取山城」がある。標高約170mの頂上は平らに削られ、空堀と土塁で区画された数段の曲輪が遺されている。絹会館が建つ一画が館跡に比定されている武蔵七党児玉党越生氏が、「物見砦」や「詰の城」として築いた可能性がある。 江戸時代の「新編武蔵風土記稿」には、「越生四郎左衛門屋敷跡」と記されている。越生四郎左衛門尉は、南朝の北畠顕家を討ち取った、「太平記」に登場する越生氏一族の武将である。 (越生神社境内の「越生神社と高取山城跡」説明板より城址部分を抜粋) 【感想】 越生神社裏手にあるということで、神社の境内を探してしまいましたが、境内からでた裏手に登城口はありました。ルートは階段tp坂道がありますがどちらでも行くことは可能です 私は緩やかな、坂道ルートを使用、途中で高取山城との分岐点があるので城の西側から入ることが出来ます。西側は西ノ丸跡、三ノ丸跡は草も多く、そこが曲輪なのかはよく見ないとわかりません。曲輪ごとに堀切で区切るような技巧的な物はなく、段差で分けているという感じです。 三ノ丸跡には、空堀も見られますが、草も多く写真では良くわからず、載せていません。 帯曲輪は本丸跡と二ノ丸跡の南側にあり、横堀と兼用なのか土塁も見られます。 ただこの城は東からの攻撃に対しては急峻な山である程度の防御はあると思われますが、西側の大高取山からは尾根続きで堀切もないので、西側はあまり意識していない造りになっています。 そうなると物見砦だったのかも知れません。 |
登城日 | 2021年04月6日(土) | ||
LINK | − | |||
城主家紋 | − | − |
【登城口】 越生神社の裏手にあり、ハイキングコースにもなっています。 |
【2つのコース】 階段側は急勾配で奥の院までの参道の様です。坂道の方は緩やかですが距離は長く大高取山の頂上まで続くハイキングコース。 |
【坂道側の通路】 幅は狭い。 |
【分岐】 大高取山頂上と高取山城の分岐、これに気が付かないと頂上に向かうことになる。 |
【三ノ丸付近から見た本丸方向】 | 【帯曲輪】 西側は、横堀も兼ねている。 |
【帯曲輪】 | 【越生神社奥の院の参道】 | 【高取山城址碑】 ここでは「高取城跡」と表記されている。 |
【越生神社奥の院】 高取山城の本丸に建つ。 |
【越生神社奥の院】 | 【本丸跡】 |
【蔀土塁】 本丸に入る虎口の外からでは本丸内が見えないようになっている。 |
【本丸虎口(内側より)】 | 【本丸虎口(外側より)】 |
【本丸跡・切岸】 | 【二ノ丸跡】 | 【竪堀】 |
【三ノ丸跡】 曲輪毎に堀切で区切ってあるわけではなく、段差により区分けされている。 |
【竪堀】 | 【西ノ丸跡】 この先は、ハイキングコースで高取山頂上へと続く。 |
ジャンル:そば 店名:そば処 よしひろ 住所:埼玉県越生町越生737 TEL:049-292-3131 営業時間: 11:00〜20:00(19:30ラストオーダー) 定休日:火曜日 写真は、天ざるそば大盛り そばは、少し太目でそば粉の香りもしていてツルツルとのど越しも良いです。 天ぷらも野菜を中心に量もあり、サクサクで美味しかったえす。ハイカー御用達みたいなお店の様です。 |