城名 | 竜ヶ谷城(別名:竜谷山城、龍谷山城) | |||
住所 | 〒350-0455 埼玉県入間郡毛呂山町大字阿諏訪1562-2 |
|||
入場時間 | ゴルフ場営業時間のみ | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 埼玉県指定重要遺跡 | |||
城郭構造 | 山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 不明 | |||
築城年 | 不明 | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 阿彌和巳之助、毛呂氏もか? | |||
位置 | 北緯35度56分12.4秒 東経139度17分38.9秒 |
|||
【歴史・沿革】 外秩父山地から連なる山並みの東端に位置する竜ヶ谷山は、東に広がる毛呂台地を一望できる標高約205mの山です。その山容は、斜面が険しく、周囲の山々から独立した孤島のような形をしており、かつては要害山とも呼ばれていました。 この険しい地形を活かして築かれた中世の山城が竜ヶ谷城です。竜ヶ谷城の構造は、山頂の雷電神社付近の一の郭、神社の社務所や神楽殿が建つ平場に造られた二の郭、二の郭から南西に延びる細長い尾根に設けられた三の郭から形成されており、各郭の周囲の斜面には腰郭や竪堀が備えられています。 竜ヶ谷城の来歴については、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』の阿諏訪村についての記述の中に「瀧谷山 要害山とも書す 上り十町許の山にて瀧野入村の境にあり 昔阿彌和巳之助と云る者の陣屋ありし處なり」と記しており、城を治めた人物について記されていますが、築城時期などにまだ謎の残る山城でもあります。 また、地域に伝わる伝承には、竜ヶ谷城では合戦が行われた際に、水の手が絶たれた城方が城内の窮境を悟られぬよう白米で馬を洗う様子を攻め手に見せた、と伝えられています。この合戦に関する文献は、残念ながら残されていないため合戦の詳細は不明ですが、戦国時代の山城合戦の風景が忍ばれるエピソードです。 謎の多い竜ヶ谷城は、地域では字名にちなんで「龍谷山城(りゅうがいさんじょう)」とも呼ばれており、毛呂山の中世史を彩っています。 (説明板より) 【感想】 この城跡には現在雷電神社が建っており、オリムピックナショナルゴルフクラブWEST(旧鶴ヶ島ゴルフ倶楽部)内にあります。雷電神社参拝であれば営業時間内であれば自由に入ることができます。門から入った後は必ず閉めること。コース内には立入らないこととのこと。営業時間外の深夜・早朝などは不法侵入となる場合がありますので注意が必要。 城跡は、雷電神社の参道があるので、登り易く、曲輪跡も残っている。竪堀は、木々や落ち葉でわかりにくい。雷電神社裏に土塁があるが、これは雷電神社建立時のものらしいです。 一の郭は、上下に分かれ、下段からは、毛呂山町を見渡すことが出来、気持ちが良かったです。 |
登城日 | 2021年04月30日(金) | ||
LINK | 毛呂山町HP-埼玉県選定重要遺跡 竜ヶ谷城跡- | |||
城主家紋 | − | − |
※説明板・竜ヶ城跡平面図(加筆有り) |
||
【登城口】 | 【指標】 | 【雷電神社入口】 |
【ゴルフ場ゲート】 この門を開けて中に入ります。開けたら元の状態に戻して下さい。 |
【城址遠景】 小高い部分が城址になります。 |
【登城道】 |
【三の郭跡】 階段を上りきった場所になり、通路の様に細長い曲輪になります。 |
【分岐】 | 【二の郭切岸】 |
【西の郭跡】 | 【登城道】 | 【二の郭跡】 |
【竪堀】 | 【二の郭跡】 | 【一の郭への登城道】 |
【一の郭跡】 一の郭は、雷電神社のある上段と下段に分かれている |
【一の郭跡・下段】 | 【一の郭跡・下段にある説明板】 |
【一の郭跡・下段からの眺望】 |
【一の郭跡】 | 【一の郭跡・上段の雷電神社】 |
【一の郭跡・上段西側】 | 【一の郭跡・上段の土塁】 この土塁は雷電神社建立の際に出来たものらしい。 |
【一の郭跡・上段東側の稲荷神社】 |