城名 | 赤塚城(別名:千葉氏城、城山) |
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住所 | 〒175-0092 東京都板橋区赤塚5丁目 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | 無料 | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | 不明 | |||
築城主 | 千葉自胤 | |||
築城年 | 康正2年(1456年) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 武蔵千葉氏 | |||
位置 | 北緯35度47分4.46秒 東経139度38分37.1秒 |
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登城日 | 2022年3月19日(土) | |||
LINK | 板橋区ホームページ-赤塚城跡- | |||
赤塚城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【月星】 (桓武平氏良文流) 千葉氏家紋 |
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【概要】 下総国の守護千葉氏は、古河公方足利成氏と関東管領上杉氏とが争った享徳の大乱に巻き込まれ、一族で骨肉相食む争いを繰り広げました。康正2年(1456)成氏方の軍勢に攻められた千葉実胤・自胤兄弟は、上杉氏の助けをうけ、市川城を逃れて赤塚城と石浜城(現台東区)へ入城しました。 寛正4年(1468)に兄の跡を継いだ自胤は、太田道灌に従って各地を転戦、現在の和光市やさいたま市大宮区、足立区内に所領を獲得するなど、武蔵千葉の基盤を築きました。 その後、武蔵千葉氏は、南北朝以来の領主であった京都鹿王院の支配を排除するなど赤塚の支配の強化に努め、北条氏が武蔵国へ進出してくるとこれに従い、豊臣秀吉に滅ぼされる天正18年(1590)まで勢力をふるいました。 城は荒川低地に面し、東と西に大きく入り込んだ谷に挟まれた台地上にあります。その縄張りは、地形の観察などから都立公園の広場の部分が一の郭、梅林の部分が二の郭、そしてその西側が三の郭とする見解もありますが、正確なことはまだ明らかとなっていません。 (説明板「武蔵千葉氏と赤塚城跡」より 【感想】 城の周辺を歩くと高低差もあり城跡と呼ばれているところは台地になっているのが良くわかります。 二の丸跡されている乗蓮寺と主郭跡は結構離れていて、本当に二の丸なのかなと思いましたが、説明板を見ると主郭跡がニ分され、公園部分が主郭、梅林の箇所が二の郭となると、主郭跡に残る空堀の意味合いが強くなってきます。 そうなると乗蓮寺は出城の様な砦だったのかも知れませんね。 はっきりしていないといろいろ想像出来て面白いです。 |
【二の丸跡に建つ乗蓮寺山門】 | 【二の丸跡碑】 | 【二の丸跡に建つ乗蓮寺本堂】 | |
【二の丸跡】 | 【二の丸跡に建立された東京大仏】 | 【主郭全景】 | |
【主郭跡に続く登城道】 | 【主郭跡の梅林(二の郭跡とも)】 | 【主郭跡の空堀跡か?】 | |
【城址碑と説明板】 | 【主郭跡】 | 【主郭の土塁】 | |
【水堀跡(赤塚溜池公園)】 | 【外堀跡】 | 【外堀跡】 | |
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【外堀跡】 | − | − |