城名 | 根木内城 | |||
住所 | 〒270-0011 千葉県松戸市根木内41 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | 無料 | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 高城胤忠 | |||
築城年 | 寛正3年(1462) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 高城氏、原氏 | |||
位置 | 北緯35度49分58.67秒 東経139度56分19.17秒 |
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登城日 | 2022年10月11日(火) | |||
LINK | 松戸観光協会〜根木内歴史公園 | |||
根木内城〜Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【細井桁に橘】 (桓武平氏良文流 千葉氏族) 高城氏家紋 |
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【概要】 寛正3年(1462年)高城胤忠の築城とされるが(『高城家文書』『日本城郭大系』)、永正5年(1508年)高城胤吉の築城とする伝承もある(『小金城主高城家之由来』、ただし、同書の記述の前後関係から大永5年(1525年)の誤記とする説もある)。栗ケ沢城に代わる高城氏の拠点として機能し、天文6年(1537年)小金城を築いて移るまで、同氏の本拠であった。 【構造】 富士川の支流により開析された谷に東西を挟まれた半島状台地先端に占地し、南端の台地繋がりを空堀で遮断し、その内部を城の内付近の郭を中心に大きく六つに区分する構造となっていた。また、大手から300m程南東に空堀及び土塁痕が近年まで残っていたと伝わり、城域は更に南に拡がっており、南北600mの規模を有したものと考えられている。 大手付近の郭と主郭の間には小郭が設けられており、更にその小郭と主郭の間に馬出し郭が設けられていた。また、大手、小郭虎口、馬出し郭それぞれを守る、空堀へ突出した櫓台が設けられ、台地繋がりの南方に向けて厳重な構えとなっていた。 現在は国道6号に分断され、国道北西側の遺構は宅地化により完全に失われている。一方の国道南東側は、整備され、2006年4月22日に根木内歴史公園として開園した。空堀、土塁、郭等が良く残っている。 (Wikipediaより) 【感想】 遺構は、大きな城址の二つの郭の一部しか残っていないが、土橋、空堀(堀切)、土塁と残り、城址としての気分は味わえます。 郭間の土塁と堀切があり、堀底道を進むと城の防御でもあった、上富士川が流れていた頃の湿地も見られる。 |
※掲示板より |
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【根木内歴史公園城址口】 | 【土橋左側堀】 | 【土橋】 | |
【土橋右側堀】 | 【空堀(堀切)】 | 【土橋】 | |
【空堀(堀切)】 | 【虎口】 当時は敵の侵入を防ぐため土橋とずらして食違い虎口になっていたようです。 |
【虎口と土塁】 | |
【郭跡】 | 【掲示板】 | 【郭間の空堀と土塁】 | |
【郭間の空堀と土塁】 | 【土塁】 | 【空堀(堀切)】 | |
【空堀(堀切)】 | 【東側の湿地】 | 【東側の湿地】 | |
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【東側の湿地】 | − | − |