城名 村上城(別名:舞鶴城、本庄城)
住所 〒958-0824
新潟県村上市羽黒口
入場時間
入場料
指定文化財 国史跡
城郭構造 連郭平山城
天守構造 望楼型3重(非現存・1598年築)
望楼型3重(非現存・1649年改)
築城主 本庄氏
築城年

不明(1500年代)

主な改修者 村上義勝、松平直矩
主な城主 本庄氏、村上氏、堀氏、内藤氏
位置 北緯38度13分11.46秒
東経139度29分6秒
100名城
スタンプ
スタンプ
設置場所
・村上城跡保存育英会(閉鎖中)
・東北電力ネットワーク村上電力センター
・おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)
登城日 一回目:2009年8月8日(土)
二回目:2023年4月29日(土)
LINK 村上の観光情報〜国指定史跡村上城跡〜
ビジュアル再現村上城
村上城-Wikipedia
城主家紋 【竹輪に二羽飛び雀】
(桓武平氏秩父氏流)
*上杉景勝から使用を許されたという。繁長の旗指物には「上」 の字が大書されていた。本庄氏
 本来の家紋だったのか?
【釘貫】
(藤原北家利仁流)
堀家家紋
【沿革】
村上城は舞鶴城、本庄城などと呼ばれ16世紀初頭に領主本庄氏によって築城したと言われています。本庄氏は当初上杉謙信と友好的な関係ではありましたが独立した国人領主で論功行賞などで謙信と敵対し、村上城は何度も攻防戦が繰り広げられ、特に永禄11年(1568)の戦いでは1年に亘り籠城戦が展開され、村上城は落城こそしませんでしたが上杉氏に降伏、以後は従属することとなります。

その後、謙信には疎まれたましたが"御舘の乱"で景勝側を鮮明にした事で側近となり新発田城攻略や庄内侵攻の拠点となります。庄内地方はを拠点とした大宝寺氏が尾浦城(鶴岡市大山)を拠点とし勢力を拡大していましたが家臣を掌握しきれず、南方から最上氏、北方から秋田氏、東方から小野寺氏から攻められるといった不安定な地域でした。本庄氏は大宝寺氏を従属させることに成功することが出来ましたが最上氏との関係が悪化し、太閤検地後に発生した一揆は本庄氏が先導したと密告され流罪となります。

その後、再び上杉家家臣として迎え入れられ、景勝が春日山城(上越市)から鶴ヶ城へ移ると随行し福島城を任せられます。関ヶ原の戦いでは伊達政宗本隊と激突し20倍もの兵力を打ち破りましたが、本戦で西軍が敗れた事で景勝は米沢城へ減封され本庄氏もこれに従います。

本庄氏が去ると村上城は堀秀治の家臣村上頼勝が入り近世城郭へ本格的改造に着手し天守なども築かれましたが村上氏が御家騒動で改易、完成には次の藩主堀直寄の時代にまで工事が及びました。その後短期間で藩主が変わり慶安2年(1649)に松平氏が藩主になると寛文3年(1663)から村上城の大改修が始まり現在見られるような石垣を始め、天守閣、櫓など建て替え、城下町も整備されました。

戊辰戦争では白石城で調印された奥羽越列藩同盟に参加し新政府軍と交戦し村上藩士撤兵の際、村上城に火を放ち焼失しています。


【感想】
臥牛山の麓から見える山頂の石垣が見事で、それを目指し山を上りると素晴らしい石垣群が迎えてくれます。特に出櫓跡から本丸へ続く石垣は一番の見所です。ただ、現在修復中で完了するのが待ち焦がれます。中世遺構の方は夏場は藪が多く冬場に行く方が良いでしょう。
二回目の時は出櫓自体の修復は済んでいましたが、豪雨被害により中世散策コースは立入禁止、出櫓下の元迂回路付近はブルーシートに覆われていました。

                      

探訪〜2009年8月8日(土)〜
【臥牛山全景】
山頂に石垣が見えます。
【中ノ門跡】
登城口に行く途中にありました。

【一文字門跡】
山頂の城郭に行くには、一文字門を通らなければならず、城攻防の最後の拠点となるところでした。
【村上城跡碑と登城口】
一文字門跡を通り過ぎると七曲り道と呼ばれる登城道になっている。
【七曲り道】
七つの曲がり角をすぎてようやく石垣が見えてきます。
【四ッ御門跡】
この門を過ぎると左手が旧三の丸、右手が御金門へ続く。正面は中世遺構散策コースとなっている。
【旧三の丸(武具蔵・調練場跡)】
村上城で一番大きな郭。
【靱(ゆき)櫓跡】
三の丸北側に位置する。東側には玉櫓跡があるが藪がすごく近づくことが出来なかった。
【靱櫓の石垣】
草に覆われているがしっかりとした石垣が見られる。
この部分は中世の石垣らしい。
【武具倉跡】 【御鐘門跡】 【出櫓跡】
二の丸から見ることができる。この奥が黒門跡になり一番上の石垣が本丸の石垣になる。
【出櫓跡石垣】
迂回路より。
【迂回路から見た黒門跡】 出櫓跡石垣の修復作業現場】
修復完了まではまだ時間がかかりそうである。
【修復現場と迂回路】
右手が迂回路になっている。
【黒門跡】 【平櫓跡】
黒門を過ぎた左側に位置する。
【本丸石垣】 【本丸石垣】 【冠木門跡】
本丸入口。
【冠木門礎石】 【冠木門礎石】 【本丸虎口】
コの字形の枡形を構成。
【本丸からの眺望】
正面に日本海を望む。
【本丸からの眺望】
左写真の河口部をズームアップ。
【本丸からの眺望】
左正面の山は上杉謙信が陣を張った下渡城跡。
【天守台石垣】 【天守台跡】 【舞鶴城碑】
天守台跡上に建つ。
【本丸】 【本丸】 【本丸より見た出櫓跡】
出櫓右側が二の丸から続く登城道。
【出櫓跡修復状況】 【本丸石垣(天守台部分)】 埋門跡】
ここから中世遺構散策コースになっている。
【帯曲輪へと続く道】 【帯曲輪】
藪に覆われていてほとんど見えない。
【坂中門跡に続く道】
【坂中門跡】
藪をどかして見えるようになりました。
【四ッ御門側中世遺構散策コース入口】 【近世城主居館跡】
現在は公園になっている。
探訪〜2023年4月29日(土)〜
【古峯神社】 【飯野門跡】
古峯神社の横に説明板があります。
【村上城遠景】
【城址碑と説明板】 【近世城主居館跡】 【一文字門跡】
【七曲りの道】 【四ッ御門付近の石垣】 【四ッ御門跡】
【旧三の丸(武具蔵・調練場跡)】 【玉櫓跡】
前回見れなかった櫓跡。
中世遺構散策コース入口
豪雨被害により立入禁止となっている。
【案内板】 【御鐘門の石垣】 【御鐘門跡】
【御鐘門跡】
この先からが二の丸跡となる。
【御鐘門の礎石】 【出櫓跡】
出櫓の石垣の修復が完了しているが、以前あったう回路側が豪雨の影響かブルーシートが掛かっている。
【出櫓跡】 【出櫓の石垣】 【以前の迂回路部分】
【黒門跡】 【本丸坂虎口】 【本丸坂虎口】
【冠木門跡礎石】 【本丸跡から見る天守台】 【天守跡】
【天守跡に建つ城址碑】 【天守跡から見た本丸跡】 【天守跡】
【天守跡から見た眺望】 【帯曲輪】 【本丸枡形虎口】
【本丸跡から見た出櫓】



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