powered by 地図Z ※赤線は大体の位置を示しています。 | 城名 | 小金城(別名:大谷口城、小金大谷口城、大谷口小金城) | ||
住所 | 〒270-0005 千葉県松戸市大谷口 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | なし | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 高城胤吉 | |||
築城年 |
天文6年(1537) |
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主な改修者 | 高城胤辰 | |||
主な城主 | 高城氏、武田信吉(家康の五男) | |||
位置 | 北緯36度49分55秒 東経139度55分13秒 |
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地図 | 1 | 金杉口 | ||
2 | 冠木門と武者溜 | |||
3 | 障子堀 | |||
4 | 畝堀 | |||
5 | 土塁 | |||
【沿革】 小金城の規模は南北約600m、東西約800mに及ぶ千葉県下最大級の中世城郭です。下総台地西端の複雑な地形(高低差が約15m)を利用し、さらに大規模な土木工事(削平、堀作、盛土)を施すことによって高さ2〜3mの土塁、深さ10m前後の空堀を縦横にめぐらせ、台地上を区画し本城、中城、番場など9〜10の曲輪を連続させる構造となっています。 小金城主の高城氏は千葉氏の一族、または千葉氏から分かれた原氏の一族といわれ、松戸市域の活動は15世紀中頃に栗ヶ沢に館を築いたのに始まり、その後、勢力を増すごとに根木内城、小金城と本拠地を移してきたといわれています。戦国時代の末には小金城を拠点として現在の松戸、市川、船橋、鎌ヶ谷、沼南、柏、我孫子などを支配し、東葛飾地方最大、下総国有数の領主、武将となりました。この頃の高城氏は、小田原北条氏関係の古文書に「金」あるいは「高城」と書かれたものが残されていることから、北条氏の軍事的勢力に組み込まれていたことがわかります。第一次国府台合戦(天文7年(1538))、第二国府台合戦(永禄7年(1564))では北条方として戦い、相模国(神奈川県)にも領土を得ます。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めによって北条氏は滅亡、高城氏もまた運命を共にし、小金領主としての役割も終わります。 昭和37年(1962)本城、中城地区の発掘調査に始まり、現在まで10回の調査が実施されています。その結果、中国産や国産の陶磁器類、内耳付土鍋、石臼等の生活用品や角釘、刀子、銅銭、弾丸、五輪塔頭部等が出土しています。 当城跡は小金城、大谷口小金城、大谷口城、小金大谷口城と四通りの名称があり、松戸市大谷口に所在することから特に地元の人々には大谷口城と呼ばれて親しまれています。 (城内案内板より) 【感想】 今回見られた場所は、城域のほんの一角である金杉口部分だけであるが、その中に障子堀、畝堀など興味を引く遺構が残っており楽しめた。宅地化される前の姿を想像するだけでいかに大規模な城がここに存在したが窺えます。 |
登城日 | 2011年7月16日(土) | ||
LINK | 小金城-Wikipedia | |||
城主家紋 | 【細井桁に橘】 (桓武平氏良文流千葉氏族) 高城家家紋 |
※表示板より(加筆あり) |
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【金杉口の冠木門】 | 【金杉口の武者溜】 | 【金杉口跡復原図】 |
【発掘調査後の障子堀】 | 【障子堀】 | 【土塁】 |
【金杉口の平場(曲輪)】 | 【発掘調査後の畝堀】 | 【畝堀】 現在は畝がなくなってしまっている。 |