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城名 | 金沢城(別名:尾山城) | ||
住所 | 〒920-0937 石川県金沢市丸の内1番1号 |
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入場時間 | 開園時間 3月1日〜10月15午前7〜午後6 10月16日〜2月末日:午前8時〜午後5時 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓開館時間 午前9時〜午後4時30分(入館は午後4時まで) 休館日:年始年末(12月29日〜1月3日) |
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入場料 | 65歳以上 無料 大人 300円 6歳以上18歳未満 100円 兼六園と共用券 500円(団体30名以上は400円) |
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指定文化財 | 重要文化財(石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫) | |||
城郭構造 | 梯郭式平山城 | |||
天守構造 | 不明(1592年築) 御三階櫓(1593年築) |
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築城主 | 佐久間盛政 | |||
築城年 | 天正8年(1580年) | |||
主な改修者 | 前田利家・利長 | |||
主な城主 | 佐久間氏、前田氏 | |||
位置 | 北緯36度33分51.54秒 東経136度39分33.22秒 |
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地図 | 1 | 河北門 | ||
2 | 橋爪門続櫓 | |||
3 | 三十間長屋 | |||
4 | 鶴丸倉庫 | |||
5 | いもり堀 | |||
100名城 スタンプ |
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【概要】 ※歴史的経緯 織田信長が加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院であった「金沢御堂(尾山御坊)」を攻め落とし、佐久間氏を置いて「金沢城」といった。 後に佐久間氏が賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉により滅ぼされ、秀吉は金沢城を前田利家に与えた。 天正11年(1583)、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導を仰いだと伝えられます。改修工事を始め、曲輪や堀の拡張、5重の天守や櫓を建て並べました。西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃です。しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。 慶長7年(1602)、落雷により天守閣が焼失した後、天守閣は再建されず、本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。 寛永8年(1631)の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより城の構造が変化するなかで、武家屋敷も城外へと出されました。内堀を堀り、土を掻き上げて各曲輪が区画されました。 宝暦9年(1759)の火災では、城のほとんどを焼失しました。その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とところが新丸から堂形へ移されたのもこの時です。現存する石川門は、この後天明8年(1788)に再建されたものです。 復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、文化5年(1808)の二の丸火災の後再建され、明治14年(1881)の火災で焼失したもので、安政頃の景観を再現したものです。 兼六園は、5代綱紀が金沢城に付属してつくらせた大名庭園である。明治以降は、存城とされて軍施設が置かれたため建物の一部を残して撤去され、第2次世界大戦後には金沢大学が1995年まで置かれていた。 【感想】 訪れるたびに復元個所が完成に近づき、新たな復元も始まったりと常に表情が違う城。 また石垣のことを学ぶのにも良い城で、訪れた際は是非石垣巡りをしてもらいたい。 |
スタンプ 設置場所 |
ニの丸案内所、石川門入口案内所 | ||
登城日 | 一回目:2008年11月22日(土) 二回目:2010年2月28日(日) 三回目:2011年11月3日(木) 四回目:2014年1月13日(月) 五回目:2015年4月29日(水) |
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LINK | 金沢城公園HP | |||
金沢城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【三つ引両】 (桓武平氏三浦氏流) 佐久間家家紋 |
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【梅 鉢】 (称菅家流) 前田家家紋 |
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その他 | 日本三名園のひとつ |
説明文中の@〜I、@、@〜Bは、金沢城の石垣めぐりのスポットです。 | ||
【前田利家像】 | 【石川橋】 | 【百間堀跡】 |
【金沢城搦手-石川門-】 |
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【石川門】 | 【石川門一之門と櫓】 | 【石川門一之門】 |
【石川門枡形内石垣】@ この石垣は右と左積み方が異なります。右側は少ししか見えませんが「切り込みハギ」、左側は「打ち込みハギ」の技法となっています。同じ場所で異なる積み方をした珍しい例で、明和2年(1765年)の改修時のものと考えられます。 |
【石川門二之門】 | 【石川門櫓】 |
【石川門櫓内部】 | 【石川門内部】 | 【石川門内部】 |
【石川門枡形内部と石川門一之門】 | 【水手門】 | 【東の丸北面石垣】I この石垣は、城内で最も古い技法が用いられており、金沢城の初期の姿を伝える数少ない貴重なものです。自然石や粗割りしただけの石を緩い勾配で積み上げた「野面積み」になっています。 |
【三ノ丸広場】 左から橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓・河北御門 |
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【内堀石垣と鶴の丸土塀】(鶴の丸付近)A この内堀は、平成11年から12年にかけ、菱櫓や五十間長屋などとともに復元されました。寛永8年(1631年)の大火の後、二の丸を守る堀として作られたといわれています。 |
【橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓石垣】B ここから見える三の丸側が「打ち込みハギ」、裏手の二の丸側が「切り込みハギ」となっています。「打ち込みハギ」の多くは郭の外周などに、「切り込みハギ」は出入口など重要なところによく見られます。 |
【菱櫓】 二の丸で一番高い三層の物見櫓。尾坂門、河北門、石川門を一望できる。石落しを多く持ち、実践的で、なおかつ華やかな櫓。 |
【二の丸北面石垣】C この付近の石垣は、形や大きさをそろえた割石が積まれています。「打ち込みハギ」の中でも、最も完成されたものといわれており、加賀藩の石垣技術者、後藤彦三郎は、「城内でも指折りの石垣」とほめたたえています。 |
【土橋門跡】 | 【土橋門石垣】D この石垣は、「切り込みハギ」の技法が用いられ、土橋門の土台になっていました。石垣に組み込まれた六角形の石(亀甲石)は、水に親しむ亀を表したもので、防火の願いが込められています。 |
【土橋門石垣】 こちら側には亀甲石は無いようです。 |
【切手門】 旧第六旅団司令部入口の門 |
【旧第六旅団司令部跡】 |
【数寄屋敷石垣】(旧第六旅団司令部の左脇)E 石積みの技法は、石の表面を長方形に仕上げた「切り込みハギ」で、刻印が見られる石垣は創建時のものです。刻印は石を切り出す時の作業分担などを示すために付けられたともいわれています。丸に×印や□に+印等の刻印があります。 |
【二ノ丸へ続く石段】 | 【二ノ丸広場】 左から菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓。 |
【菱櫓】 | 【菱櫓内部の石落し】 | 【金沢城模型】 |
【菱櫓の雛型模型】 | 【五十間長屋内部】 | 【橋爪門枡形】 |
【雁木坂】 三ノ丸から二ノ丸へ入るための正式なルートで二ノ丸御殿の玄関に至る。 |
【橋爪門】 | 【橋爪門二之門】 |
【敷石】 寛永8年(1631)の大火を契機として、本丸にあった御殿は、二ノ丸に移り、二ノ丸御殿が藩政の中心となりました。二ノ丸の正門にあたる橋爪門は、二之門床に御殿の玄関まわりと同じく、四半敷き(正方形の石を縁に対し45度になるよう斜めに敷いたもの)で戸室石が敷かれ、格式の高い門であったことを示している。 |
【橋爪門二之門】 | 【橋爪門枡形】 |
【橋爪門一之門と橋爪門続櫓】 | 【極楽橋と空堀】 二ノ丸と本丸の間の空堀に掛かる橋 |
【極楽橋下の石垣】 刻印が入った石が多くあります。 |
【極楽橋】 | 【戌亥櫓石垣】 | 【戌亥櫓石垣】F この石垣は「打ち込みハギ」の積み方をしていますが、石の隙間に平らな石をはめ込み、「切り込みハギ」のように見せる技法が用いられています。長い年月の間に石が抜け落ちていますが、当時の巧みな技術を見ることができます。 |
【三十間長屋】(重要文化財) 二層二階の多聞櫓で、安政5年(1858年)に再建されたもので、現在の長さは26間半です。 【三十間長屋石垣】 この石垣の積み方は「切り込みハギ」の技法で積まれていますが、表面の縁取りだけを綺麗にそろえ、内側を粗いままにしておく「金場取り残し積み」という技法が用いられています。 |
【三十間長屋】 | 【三十間長屋内部】 |
【三十間長屋内部】 | 【三十間長屋より見た鉄門跡】 | 【鉄門(くろがね)石垣】H 「切り込みハギ」の技法は、城の重要な部分に用いられています。本丸の入口となるここ鉄門の石垣にも、「切り込みハギ」が見られます。石の表面を多角形に加工したすぐれたデザインで、丁寧なつくりになっています。 |
【鉄門跡】 創建は明らかではないが、寛永の大火(1631年)以降、二の丸から本丸に入る正門となた。鉄板を貼った扉が付けられていたことからこの名が付いたといわれる。 渡し櫓が乗った重厚な門で、本丸の防御にあたっていた。 |
【戌亥櫓跡】 本丸の北西角、戌亥の方角にあたることから「戌亥櫓」と呼ばれていた。西と北に「出し」という出窓が付いている二層の櫓だった。宝暦の大火(1759年)の後、再建されなかった。 |
【戌亥櫓跡からの眺望】 |
【本丸跡】 古くは金沢御堂があった場所と伝え、天正11年(1583年)の賤ヶ岳合戦後、前田利家が入城し、天正14年(1586年)頃に天守閣を設けたといわれる。 天守閣は慶長7年(1602年)に焼失し、代わって三階櫓が建てられた。寛永の大火(1631年)までは本丸に御殿がおかれ、金沢城の中心であったが、大火後は二ノ丸に移った。 |
【本丸跡】 | 【辰巳櫓跡】 本丸の東南角、辰巳の方角に当たることから「辰巳櫓」と呼ばれていた。長屋を構えた立派な櫓が建っていたが、宝暦(1759年)後は再建されなかった。櫓を支えた石垣は明治の石段改修により改変され、殆ど残っていない。 |
【辰巳櫓跡から見た鯉喉櫓といもり堀】 | 【東ノ丸跡】 | 【丑寅櫓跡】 |
【鶴丸倉庫】(重要文化財) | 【河北門 ニラミ櫓台】 続櫓の機能を持ち防御を高めている。 |
【河北門二之門】 |
【河北門枡形】 | 【河北門一之門】 | 【河北門から見た菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓】 河北門は金沢城の実質的な正門になる。 |
【三ノ丸北側石垣】 | 【新丸広場】 | 【三ノ丸から二ノ丸にかけての石垣】 |
【二ノ丸北側(二ノ丸御殿跡)の切岸】 二ノ丸北側は石垣ではなく、切岸になっている。現在は整備されなだらかな斜面になっているが当時は防御の面から考えてこのような傾斜ではなかったと思われる。 |
【大手門(尾坂門)跡】 高山右近の指導により、西丁口(現在の黒門口)にあった大手門を尾坂口に移したと伝えられる。大きな櫓台が残っているが、櫓や長屋の記載された資料はなく、屋根付きの門(棟門)が設けられていた。 |
【大手門(尾坂門)石垣】A 巨大な割石を使った打込みハギの石垣です。巨石は「鏡石」と呼ばれ、一般には城の正面によく用いられた。金沢城の石垣の中で最大の石もこの中に組み込まれている。尾坂門が大手門だったことを示す一つの証拠と見られる。 |
【大手門口石垣】 | 【大手門堀と石垣】 | 【黒門口】 |
【数寄屋屋敷西方の堀縁石垣】@ | 【数寄屋屋敷西方の堀縁石垣】@ いもり堀の北端にあるこの場所は、水堀から高さ四間半(約8m)延長六十七間(約120m)の石垣が築かれています。石の正面を部分的に均して刻印を施す石加工に特徴があり、初期の粗い石加工を積んだ石垣の一つです。 |
【玉泉院丸鼠多門続櫓台石垣】@ 玉泉院丸の北西隅に位置する櫓台石垣で、絵図では堀底から高さ五間三尺五寸(約10m)と記されています。 文化7年(1810)の修築を担当した石垣技術者の後藤小十郎による指図が残っており、石垣勾配の設計法を知ることができる石垣です。比較的丸みのある石を多用することから「鶴目積」の石垣とも呼ばれました。 |
【玉泉院丸鼠多門続櫓台石垣】@ | 【玉泉院丸鼠多門続櫓台石垣】@ | 【玉泉院丸口】 平成27年3月に復元整備された玉泉院丸庭園の入口 |
【玉泉院丸庭園】 | 【玉泉院丸庭園】 | 【紅葉橋】 本来は木橋であった。 |
【玉泉院丸の堀と石垣】 | 【玉泉院丸から見た三十間長屋】 | 【玉泉院丸庭園に面した石垣群】@玉泉院丸コース |
【玉泉院丸庭園に面した石垣群】@玉泉院丸コース 玉泉院丸に面した斜面一帯は、趣向を凝らした「切り込みハギ(色紙短冊積み)」の石垣が見られます。石垣の高さや向き、石の積み方から細部の加工に至るまで、表情豊かな石垣群は、玉泉院丸庭園の借景としての役割を担っていました。 写真の石垣は、その代表格で、西条部に黒色の石(坪野石)を使ったV字形の石樋を組み込み、落水の背景となる石垣中央には、3石の縦長石を段違いに配置するなど、庭園に面した場所ならではの意匠をもつ石垣です。 |
【薪の丸】 江戸時代には、この地に前田家に伝わった刀剣。書籍などの宝物をおさめる蔵が置かれていた。「薪の丸」の名は、三代藩主利常の正室珠姫が本丸に居住していたころ、薪を置いた場所であったことからこの名がついたといわれている。 |
【薪の丸の東側の石垣】@薪の丸コース この石垣は、鯉喉櫓台や二の丸北面と同じく、加工の進んだ石材を整然と積み上げた「打ち込みハギ」の石垣で、寛文6年(1666年)、加賀藩の穴太(石垣普請職)後藤権兵衛によって改修されたことが記録に見えます。 |
【いもり坂と薪の丸の石垣群】@薪の丸コース いもり坂は明治以後作られた通路で、江戸時代になかったものです。このあたりは玉泉院丸に面した斜面の一角で、庭園向きの石垣として整備されたところです。三十間長屋と同じく「切り込みハギ」の一種で、野趣に富んだ意匠を狙った「金場取り残し積み」などが見られます。 |
【松阪門跡】 | 【本丸南面の高石垣】 |
【高石垣下に置かれている発掘石】 | 【明治の石垣】 明治40年のいもり堀埋め立ての際、土取りで削り込まれた崖面を保護するため、陸軍が築造した石垣です。延長約360mの曲線的な石垣は、石材を斜めに落とし込む「谷積み」の技法で造られています。本丸南面石垣の石材を再利用しており、所々に刻印や矢穴が見られます。 |
【鯉喉櫓台の石垣石】 明治40年(1907年)のいもり堀埋め立ての時に捨てられ、平成15年度の調査で発掘されたものです。おもに寛永4年(1664年)改修時に新調された石垣石で長さは1.0〜1.5mのものが多く、規格化が進み、ノミによる細かな加工が顕著に見られます。打ち込みハギ石垣の完成段階の特徴をよく示しています。 ※現在は元の鯉喉櫓台に戻っていると思われる。 |
【申酉櫓下の石垣】 寛永頃の石垣。 |
【申酉櫓下の石垣】 ここでは時期の異なる「打ち込みハギ」の石垣を見ることができます。右側は自然面を残す割り石を積み上げた、慶長頃の石垣です。左側は加工の進んだ石材を用い、刻印が多く見られる石垣で、寛永頃新たに継ぎ足されたものです。 |
【本丸南面の高石垣】 |
【本丸南面の高石垣】 | 【鯉喉櫓台石垣】 | 【いもり堀】 |
【いもり堀からみた金沢城本丸南面の高石垣】 | ||
ジャンル:郷土料理 店名:特別名勝兼六園 堤亭 住所:石川県金沢市兼六町1-15 TEL:076-221-2387 営業時間:8:15〜17:00 定休日:− 兼六園入口に8軒並ぶお店の真ん中にあるお店、雰囲気の良さで入ってみました。 やはり金沢にきたなら治部煮治部煮でしょうってことで治部煮のついているものをと思い、メニューを見たのですがどれにも大体ついてましたw そばも食べたかったので「そば三昧 \1,400-」を注文しました。 そばも三種類あるのですが、そばは普通でした。 治部煮はおいしかたです。 しかし、そば3種類にご飯も付いてくるとお腹いっぱいですw |