城名 三枚橋城/沼津城(別名:観潮城)
住所 〒411-0917
静岡県沼津市大手町
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 不明
築城主 三枚橋城:武田勝頼
沼津城 :水野忠友
築城年 三枚橋城:天正7年(1579)
沼津城 :安永6年(1777)
主な改修者 水野忠友(三枚橋城を改修)
主な城主 三枚橋城
武田時代:高坂源五郎(春日昌元)、曽根昌長、堀内政豊等
徳川時代:松平忠次、大久保忠佐

沼津城:水野氏
位置 北緯35度5分56秒
東経138度51分34秒
地図 本丸(中央公園)
川廓
石垣1
石垣2
外堀
【沿革】
三枚橋城は、天正7年(1579)、武田信玄の子勝頼が後北条氏の戸倉城に対抗して築城したものといい、関ヶ原合戦後の慶長6年(1601)には大久保治右衛門忠佐(ただすけ)が城主になりました。しかし、同18年(1613)の忠佐の死後世継ぎがなかったため大久保家は断絶となり、翌19年、三枚橋城は廃城となりました。

以後160余年の間当地に城はありませんでしたが、安永6年(1777)、後に老中となる水野忠友が沼津に城地を与えられ沼津城を築城しました。この沼津城は三枚橋城の北半分を利用して作られましたが、規模は三枚橋城と比べ小さなものでした。

慶応4年(1868)水野氏の菊間(現 千葉県市原市)転封の後、城の建物は沼津兵学校の施設として使われましたが、明治4年(1871)の兵学校廃止後払い下げられ、姿を消しました。
(説明板より)

【感想】
城址は市街地化され、遺構としては発掘調査時に出てきた石垣が地上で復元され見受けられますが、それ以外は何もありません。
市街地の道路が外堀跡であり、狩野川から水を引き込んでいたことは想像出来ます。意外に周囲を歩いて見ると想像できるものがあるかもしれません。

登城日 2015年7月18日(土)
LINK 沼津市HP-三枚橋城・沼津城-
三枚橋城-Wikipedia-
沼津城-Wikipedia-
城主家紋 【割菱】
(清和源氏義光流)
甲斐武田氏家紋
【立ち沢瀉に水】
(清和源氏満政流浦野氏族)
水野氏家紋

                      

探訪

※幕末頃の沼津城と現在の市街地重ね図
【本丸跡】 【沼津城本丸跡碑】
碑を囲む石は三枚橋城の石垣の石を使用。
【沼津城説明板】
【川廓通り説明板】 【川廓通り】
東は狩野川に面し、背後は沼津城(元三枚橋城)の外廓にあたる東海道として形成されてきた。
【狩野川】
【三枚橋城外堀跡】 【三枚橋城外堀石垣(復元)】
沼津リバーサイドホテル(旧沼津東急ホテル)前に展示。
【三枚橋城本丸付近石垣(復元)】
アゴラ沼津前の一角に展示。




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