powered by egmap.jp |
城名 | 国吉城 (別名:佐柿国吉城、若狭国吉城) |
||
住所 | 〒919-1132 福井県三方郡美浜町佐柿 |
|||
入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 町指定史跡 | |||
城郭構造 | 山城 | |||
天守構造 | − | |||
築城主 | 粟屋勝久 | |||
築城年 | 弘治2年(1556) | |||
主な改修者 | 木村定光 | |||
主な城主 | 粟屋勝久、木村定光 | |||
位置 | 北緯35度36分49秒 東経135度57分58秒 |
|||
地図 | 1 | 本丸跡 | ||
2 | 二ノ丸跡 | |||
3 | 連郭曲輪群 | |||
4 | 城主居館跡 | |||
5 | 若狭国吉城歴史資料館(町奉行所跡) | |||
【概要】 国吉城は、若狭国守護大名武田氏の重臣、粟屋越中守勝久が、古城跡を利用して築城したといわれ、弘治2年(1556)には居城としていました。 永禄6年(1563)9月、敦賀郡司朝倉太郎左衛門率いる越前勢が攻め寄せました。以後、天正元年(1573)に朝倉氏が滅亡するまで、ほぼ毎年侵攻してくる越前勢を撃退し続け、難攻不落の国吉城と勝久の有名を轟かせました。その活躍は、軍記『国吉籠城記』諸本に記されています。 元亀元年(1570)4月、織田信長が国吉城に入り、最初の朝倉攻めに向かいました。天正元年8月、敦賀で朝倉勢を追う織田勢に合流した勝久は、朝倉氏の滅亡を見届けました。 天正10年(1582)、信長の後継をめぐる羽柴秀吉と柴田勝家の対立では秀吉方に与し、柴田領である越前国境に接する国吉城を改修しました。戦後、大坂に召し出されて秀吉の直臣になりました。替わって、木村常陸介定光が豊臣大名として領主となり、城と城下を整備しました。その後、若狭国主となった諸大名は、領国東方の重点拠点として重臣を配しました。 寛永11年(1634)、京極家の後に徳川譜代の酒井忠勝が小浜に入封すると、翌年に佐柿町奉行所と御茶屋屋敷が造られ、廃されました。 (パンフレット「国吉城址の石垣」より) 【感想】 美浜駅でレンタサイクル借りて一路国吉城へ。道は車量が多いので横断する際は注意が必要です。若狭国吉城歴史資料館までは意外と坂道なので電動自転車の方が楽ですね。 登城下のが台風が過ぎて間もなかったので倒木もあるので注意喚起が出ていましたが、道を塞いでいたのは1つのみでした。 登城道は良く整備されており、とても登りやすくなっています。 石垣に使用されている石は自然石で未加工の石が多く、裏込め石は少な目で大きな石垣は残っていませんが低いです(大半は埋まっている?)が石垣が見られます。 各曲輪も整備され見易かったです。南堀切やU郭下は急峻な切岸なので虎ロープが張ってあり、それを伝って下りることが出来ます。軍手などあると手が汚れずにすみます。 |
続 日本100名城 スタンプ |
|||
スタンプ 設置場所 |
若狭国吉城歴史資料館 | |||
登城日 | 2018年9月24日(月) | |||
LINK | 美浜町-若狭国吉城歴史資料館 | |||
国吉城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【花菱に扇】 (清和源氏武田氏族安田氏流?) 若狭粟屋氏家紋 |
※加筆あり |
||
【案内板と「佐柿の町家と町並み」】 この向かい側に高札場跡がある |
【准藩士屋敷跡】 | 【准藩士屋敷の石垣】 |
【国吉城址碑】 | 【彼岸花と幟】 | 【若狭国吉城歴史資料館】 この場所は佐柿町奉行所(御茶屋屋敷)跡に旧田辺半太夫住宅を移築してたものです。 |
【城主居館跡】 | 【城主居館跡石垣】 | 【城主居館跡石垣】 |
【城主居館跡石垣】 | 【城主居館跡】 | 【城主居館跡】 |
【城主居館正面虎口跡】 | 【城主居館跡説明板とパンフレット入れ】 | 【城主居館跡】 |
【城主居館跡】 | 【城主居館跡】 | 【城主居館跡の土塁と石組溝】 |
【城主居館跡の土塁】 | 【城主居館跡の石組溝】 | 【城主居館跡 礎石建物群】 |
【山上登城口】 登城道の倒木に対する注意喚起がありました。 |
【登城道】 | 【登城道にある獣柵】 |
【登城道】 | 【登城道の倒木】 かなり大きな木が倒れてました。 |
【登城道】 |
【伝二ノ丸跡】 | 【伝二ノ丸跡】 | 【伝二ノ丸跡の土塁】 |
【伝二ノ丸跡の喰違虎口】 | 【伝二ノ丸跡(奥側)】 | 【伝二ノ丸跡((奥側)】 |
【伝二ノ丸跡 奥側より見た喰違虎口】 | 【登城道】 | 【登城道】 |
【散乱する石】 石垣の石かな |
【粟屋時代の石垣】 | 【本丸下帯曲輪】 |
【本丸帯曲輪段石垣(下段)】 | 【本丸帯曲輪段石垣(上段)】 | 【本丸帯曲輪段石垣】 |
【本丸北西帯曲輪段石垣の調査個所?】 | 【本丸北西帯曲輪段下段石垣】 | 【本丸北西帯曲輪段石垣の調査個所】 |
【北堀切】 帯曲輪からこの堀切に接続し、左側が連郭曲輪群に繋がり、右側が本丸跡になる。 |
【北堀切石垣(粟屋期)】 この堀切の上には本丸と連郭曲輪群との行き来が出来るように橋が架かっていたそうで発掘した際にその礎石が出てきたそうです。 |
【北堀切石垣(粟屋期)】 |
【本丸切岸】 | 【本丸下帯曲輪と調査個所?】 | 【北堀切】 |
【本丸切岸】 | 【本丸城道】 | 【本丸切岸】 石は崩落した石垣か? |
【誰が積んだものなのか?】 石垣の石を使って積んであるようです。 |
【本丸北西虎口跡(木村期)】 | 【本丸北西虎口跡(木村期)】 門の礎石も確認でき、石垣の中には転用石も多く見られる。 |
【倒れた鏡石】 | 【転用石】 | 【本丸跡】 |
【本丸からの眺望】 美浜町が一望できる。 |
【本丸跡の城址碑】 | 【本丸土塁】 |
【本丸南隅櫓台跡】 | 【本丸南側下】 | 【南堀切】 |
【南堀切から続く御岳山尾根】 | 【北堀切からみた連郭曲輪群方向】 | 【U郭跡(南側より)】 |
【U郭跡(北側より)】 | 【U郭から見たV郭】 | 【U郭切岸】 急峻なため虎ロープが張ってあります。 |
【V郭跡(北側より)】 | 【U郭切岸】 | 【V郭跡(南側より)】 |
V郭の虎口】 | 【W郭跡(北側より)】 | 【W郭跡より見たX郭跡】 |
【X郭跡(北側より)】 写真手前は虎口 |
【X郭跡・虎口跡】 | 【X郭跡(南側より)】 |
【X郭跡(北側より)】 | 【X郭跡より見たY郭跡】 右側はY郭土塁、土塁上からY郭に入る |
【Y郭跡(南側より)】 |
− | ||
【Y郭跡(北側より)】 両側に土塁がある曲輪 |
【Y郭北側下斜面】 | − |