城名 | 北畠氏館 (別名:多気北畠氏城館、多気御所、北畠御所) |
|||
住所 | 〒515-3312 三重県津市美杉町上多気1148 |
|||
入場時間 | − | |||
入場料 | 北畠氏館跡庭園:300円 | |||
指定文化財 | 国指定史跡(多気北畠氏城館として) 国の名勝史跡:北畠氏館跡庭園 |
|||
城郭構造 | 城館 | |||
天守構造 | − | |||
築城主 | 北畠顕能 | |||
築城年 | 興国3年(1342) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 北畠氏 | |||
位置 | 北緯34度31分06.86秒 東経136度17分55.93秒 |
|||
【概要】 南北朝から戦国時代、この多気の地は伊勢国司であり大名であった北畠氏の本拠地でした。その中心であったのが、多気のほぼ中央に位置する北畠氏館跡と詰城及びその背後の山頂にある霧山城跡からなる多気北畠氏城館跡です。 北畠氏館跡は、北畠神社境内を中心に西を山裾、それ以外を川で囲まれた場所にあります。館跡内で行われた学術調査の結果、15世紀末〜16世紀初頭には大規模な増勢が行われ、中世城館では日本最古となる南北2列の石垣が設けられ、土器からは京都文化との繋がりが明らかになっています。 また、北畠氏館庭園は曲水池泉の鑑賞式庭園で、戦国時代の庭園として非常に著名なものであり、庭園は、「米」字形をする園池と立石による枯山水からなります。また、館跡の裏山には詰城があります。 (説明板より) 【感想】 JR伊勢奥津駅からレンタサイクルを借りて登城しようと考えていたのですが、小雨が降っておりレンタサイクルの貸し出しが出来ないとのこと。ここからはタクシーもなくバスも北畠神社方面のものは出ていないとのこと。 しかし、折角来たのだからと徒歩での登城を結構、道のりにして約5km、時間にして約1時間、伊勢本街道を歩き、途中伊勢へ抜けるための最難所の飼坂峠があります。と言っても今は飼坂トンネルがあるので峠越えはないですが、このトンネルが約700mあり歩道はあるものの交通量が少ないためかスピードを出してくる車も多く怖いです。自転車で通るときは細心の注意が必要です。 館跡の方は、遺構は埋め戻されてしまっているため説明を読む程度になってしまいます。固定されていない説明板は位置が違う場所にあるような気がします。固定された説明板を見た方が良いでしょう。 庭園は雨のため緑が映え下の苔も鮮やかで歩いてきた甲斐があるほどに癒されます。庭園を見るならこの時期は最高です。 |
100名城 スタンプ |
|||
スタンプ 設置場所 |
北畠神社社務所 | |||
登城日 | 2019年7月14日(日) | |||
LINK | レッ津ゴ〜旅ガイド-北畠氏館跡庭園- | |||
観光三重-北畠神社- | ||||
北畠神社-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【笹竜胆】 (村上源氏久我氏流) 北畠氏家紋 |
※北畠館跡説明板より ※詰城の縄張図(説明板より) |
||
【北畠神社入口】 | 【橋】 | 【北畠神社(北畠氏館跡)】 |
【北畠神社拝殿】 | 【北畠氏館入口跡説明板】 他の説明板を見るとこの位置ではなさそうです。 |
【北畠氏館跡】 |
【花将軍・北畠顕家公銅像】 | 【北畠顕能公歌碑】 | 【説明板】 この場所に長さ15m以上、高さ3mの石垣があったそうです。15世紀前半に建てられたもので、中世の城や館で使われた石垣としては全国で最も古いものらしいです。また、この説明板によると入口跡はこの説明板の右手方向になるようです。 |
【石積み】 これは後世のもので、遺構は埋め戻されているようです。 |
【礎石建物跡】 | 【詰城への登城路】 |
【北畠氏館詰城跡】 詰城跡は、北畠氏館跡の裏山の尾根上に立地し、館跡との比高差は約80mあります。 |
【詰城からの眺望】 眼下に見えるのは上多気六田地区・景賞院跡 |
【詰城・曲輪A】 |
【竪堀】 | 【詰城・曲輪Bへの城道】 | 【詰城・曲輪B】 |
− | ||
【詰城・曲輪Bの一段高くなった場所(基壇?)】 | 【詰城】 | − |
− | − | |