城名 | 鷺山城 | |||
住所 | 〒502-0851 岐阜県岐阜市鷺山150 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | 無料 | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 佐竹秀義 | |||
築城年 | 文治年間(1185〜1190) | |||
主な改修者 | 斎藤義龍 | |||
主な城主 | 土岐氏、斎藤氏 | |||
位置 | 北緯35度26分58.79秒 東経136度45分03.22秒 |
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【概要】 岐阜県岐阜市にあった山城。稲葉山城から見下ろすことのできる標高68m・比高約47mの鷺山の山頂に築かれていた、斎藤道三(利政)の隠居城としても知られる城である。 平安時代末期の文治年間(1185〜90年)、佐竹秀義によって築かれた。 室町時代に入り、美濃国の守護大名土岐氏の居城となったが、文和2年(1353)に新たに築かれた川手城に居城を移したことから、鷺山城は衰退した。 永正年間(1504〜20年)、土岐頼芸が鷺山城を再興し、第11代の美濃国守護として川手城に入城するまで居城とした。 享禄3年(1530)、斎藤利政は土岐頼芸を追放して美濃を領有したが、居城の稲葉山城を拠点としたことから、鷺山城は再び衰退した。 天文17年(1548)、利政は家督を嫡子の義龍へ譲り、剃髪して道三を号し、鷺山城を改修して、居城を鷺山城に移した。嫡子義龍はこの道三の行動を義龍の弟の斎藤龍重・龍定に家督を譲る準備と勘違いをして、道三を鷺山城から追放し、弘治2年(1556)には長良川の戦いで道三を討ち取った。この戦いの後、鷺山城は廃城となった。 昭和39年(1964)、東海道新幹線や名神高速道路の建設用の土砂を採取するため、鷺山城があった鷺山の一部が削り取られたが、このとき、鷺山城の礎石と思われる石が発見された。鷺山は大きく削られたものの城跡は保存され、土塁、堀などの遺構が現存している。 JR東海道本線岐阜駅から岐南町線バス、さぎ山小学校前下車後、徒歩約1分。 (「日本の城がわかる事典」より) 【感想】 登城口はいくつかあるようです。城址の案内板が見つからなかったのでどこがどう云った曲輪かは不明ですがいくつか削平地があり曲輪だったかのように伺えます。山上には神社もありその下の通路は堀切になっている箇所もあります。山頂に城址碑があり、その下の曲輪跡には東屋もありそこからちょっと高い場所にいけば岐阜城も見えますが、見晴らしは草木が多く良くないのが残念ですが、義父譲渡の位置関係はわかります。 |
登城日 | 2019年11月17日(日) | ||
LINK | ぎふの旅ガイド〜鷺山城〜 | |||
鷺山城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【土岐桔梗】 (清和源氏頼光流) 土岐氏家紋 |
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【二頭波】 (藤原氏利仁流) 斎藤氏家紋 |
【鷺山公民館側登城口】 | 【説明板】 | 【登城道】 |
【石垣(多分神社の物】 | 【石垣】 | 【神社】 |
【堀切】 | 【本丸跡】 | 【城址碑】 |
【曲輪跡の東屋】 | 【説明板】 | 【北側の曲輪跡】 |