powered by egmap.jp |
城名 | 甘崎城(別名:天崎城) | ||
住所 | 〒794-1403 愛媛県今治市上浦町甘崎(古城島) |
|||
入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 県指定史跡 | |||
城郭構造 | 海城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 越智氏 | |||
築城年 | 天智天皇10年(671年) ※諸説あり |
|||
主な改修者 | 藤堂高虎 | |||
主な城主 | 越智氏、今岡氏、村上氏、村上吉継、藤堂氏 | |||
位置 | 北緯34度14分41秒 東経135度03分23秒 |
|||
地図 | 1 | 北曲輪跡 | ||
2 | 南曲輪跡 | |||
3 | 石垣 | |||
4 | − | |||
5 | − | |||
【解説】 越智氏によって築かれた日本最古の水軍城とされ、伊予国大三島東端である瀬戸甘崎の海中に位置する。甘崎城は、戦国時代から江戸時代初期にかけての海城です。 考古学的調査によると、遺物は15-16世紀の年代を示し、16世紀が繁栄の時期と考えられます。戦国時代は能島や来島の村上海賊衆の拠点として使用され、岩礁に見られる柱穴跡は、繁船施設の遺構と考えられます。 また、干潮時に見られる石列は、藤堂高虎が今治城だった江戸時代初期に、改修させた石塁の一部と考えられます。高さ2〜3間半(1間は約1.8m)の総石垣が島の周囲を取り囲み、追手口には内枡形の縄張りが見られます。島内では、建物の礎石や多数の瓦片も見つかっています。 元禄4年(1691)年にこの沖を航行したドイツ人医師ケンペルが、海中より聳える高石垣に驚いています。それらの多くは、幕末期ころに地元の堤防石塁(塩田など)として使用されたようです。 (説明板より) 【感想】 対岸からの見学のみであったが浜辺に見える石材や石垣が少々見え海の中にはどんな石垣があるのか興味津々。年に数度海割れがおこり陸続きになるので歩いて島に行けるようですが、そのタイミングに出会うのは難しいのかも知れません。 ネットで写真は見られますが北曲輪や南曲輪の写真がないので上には上がれないのかも知れませんね。 |
登城日 | 2017年3月11日(土) | ||
LINK | 瀬戸内しまなみ海道観光マップ |
|||
甘崎城-wikipedia | ||||
城主家紋 | 【丸に上の字】 (清和源氏頼信流) 能島村上氏家紋 |
|||
【蔦】 (藤原氏) 藤堂氏家紋 |
【説明板】 | 【甘崎城全景】 | 【浜辺】 | |
【浜辺に見られる石垣】 | 【浜辺に見られる石材】 | 【浜辺に見られる石材】 | |
【鳥居】 | 【斎田】 | 【復元された総門】 | |
【天然記念物 能因法師 雨乞の楠】 日本最古の楠 |
【天然記念物 乎知命御手植の楠】 | 【天然記念物 乎知命御手植の楠】 | |
【神門】 | 【吊り灯篭】 | 【拝殿】 | |
【北回廊】 回廊には天皇や著名な政治家、旧陸海軍のお歴々の写真が飾られています。 |
【重要文化財 宝篋印塔】 | 【河野通有兜掛の楠】 |