城名 | 水城 | |||
住所 | 〒818-0131 福岡県太宰府市水城 |
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入場時間 | − | |||
入場料 |
−
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指定文化財 | 国の特別史跡 | |||
城郭構造 | 古代の城 | |||
天守構造 | − | |||
築城主 | 大和朝廷 | |||
築城年 | 天智天皇3年(664) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | − | |||
位置 | 北緯33度31分4.97秒 東経130度29分33.56秒 |
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【沿革】 八世紀の初めに書かれた『日本書紀』の中に「筑紫筑紫に大堤を築きて水を貯えしむ。名付けて水城という。」という記述があります。 660年、朝鮮半島にあった国『百済』は、当時中国にあった国『唐』と同じ朝鮮半島の国『新羅』の連合軍に攻められ敗れました。そしてわが国に救援を求めてきました。わが国は百済を助けるため兵を送りましたが、663年白村江(はくすきのえ)で大敗を喫してしまいました。この後、唐と新羅が海を渡って攻めてくるのではないか、という大変危険な事態が生じました。九州は朝鮮半島に近く、敵兵がまず上陸する場所、また国の役所である『大宰府』が置かれています。絶対にこれを守る必要があり、この為に664年に造られた防衛施設が水城なのです。 水城と同じ目的で造られた小さな土塁が大野城市を含めて六ヶ所確認されており、小水城と呼ばれています。 幸いにも唐と新羅は攻めてくることがなく、水城がその役目を果す機会はありませんでした。 【感想】 水城駅を降りスタンプを押し、まずは土塁断面ひろばに行き、西堤の東側を見学し、そこから西側行くのがなかなか大変、間に御笠川と九州自動車道があり大回りして行かなければならない。水城館によりビデオを見てようやく水城の概要がわかってきた。絶対にこのビデオは見た方が良い。その後は展望所に登るが水城の構造が良くわからないのでさらに山の上へ、まさか水城で山登りになるとは思いもしませんでした。 山上の展望台では水城の構造が良くわかります。晴れていればもっと良かったのですけどね。 |
100名城 スタンプ |
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スタンプ 設置場所 |
・大宰府展示館(月曜休館) ・大宰府文化ふれあい館(月曜休館) ・水城館(月曜休館) ・大野城心のふるさと館(月曜休館) ・JR水沢駅 |
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登城日 | 2018年10月25日(木) | |||
LINK | 大野市ホームページ-水城をめぐる | |||
水城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | - | - |
【西堤東】 西堤はJR鹿児島本線により東西に分断されている。 |
【西堤西】 | 【西堤東にある土塁断面ひろば】 |
【西堤東の土塁断面】 | 【西堤東・南側(太宰府側)】 こちら側に内濠(幅4.5〜10m)があった。 |
【土塁上に続く階段】 |
【土塁上】 | 【西堤東・北側】 こちら側に外濠(幅60m、深さ4m)があった。 |
【東門跡と官道跡】 |
【水城館】 | 【水城東門跡】 | 【水城東門跡説明板】 |
【水城東門跡】 | 【水城東門礎石】 | 【水城東門礎石】 |
【水城大堤の碑と水城跡展望所】 | 【水城跡展望所より見た水城跡】 | 【水城跡展望台】 水城館の展望所より尾根伝いに上り詰めると展望台があります。 |
【水城跡展望台】 | 【水城跡展望台から見た水城跡】 | 【水城跡展望台から見た水城跡】 ここからだと水城が大野城方向に延びていたことが良くわかります。 |
【東堤・南側】 | 【東堤・南側】 | 【西門跡と西門礎石】 右側に置かれているのが西門の礎石。 |
【西門跡】 | 【西門跡】 | 【西堤西・西門跡付近にあるの説明板】 |
【西門跡】 | 【松尾池】 写真右側付近に水城望楼があったとされる。 |
【新池】 |